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1 ホーガン
白と黒の世界だ。
色彩はない。どっちつかずの灰色もない。
世界はただ闇と、ぎらつくような光とで塗りわけられている。
地球は今、足の下だ。
星々はその温度に応じて赤や青に輝いているはずだが、強烈な太陽光が色彩を消し飛ばしている。
モスクワの海。
見渡す限り続くレゴリスの砂漠。
ホーガンはゆっくりと降下し、片足で着地する。
そこから振動の輪が広がり、砂が舞い上がる。煙のように立ち上るレゴリスの中、ホーガンは大地を蹴り、ゆっくりと空中に浮かぶ。
ホーガンの周辺視野には、冷たいグリーンの数字や記号が絶え間なく瞬いている。
座標や、自動生成される周辺地図や、光学センサーの視界の外を進む仲間を指し示す”▼”。傍受した通信や、フィルターされた副脳のつぶやき。そんなものだ。
・・・---・・・ ・・・---・・・
さっきから続いている通信のひとつは、そんな繰り返しだ。
古代のプロトコル。国際標準の救難信号。
副脳がそう言っている。
視界の端で瞬く・・・に焦点を合わせる。
と、周辺地図上に発信源の座標が示される。
デポ E27
よそのユニットの資源集積所。
本来なら侵入不可だ。
だが、救難信号を無視もできない。
「行くべきか?」
副脳の祖先に尋ねる。
「SOSを見過ごす者は名誉を失う」
祖先の仮想人格が答える。
ホーガンは決意し、センサーを再配置。
視界が全天周に広がる。
頭の後ろも、足の下の地面も見える。
デポ E27に群がる機械生命たちが、赤い輝点で示される。
「多いな」
「何ほどの事もない」
「そうか?」
長大な放物線の頂点で、ホーガンは電磁ライフルを起動する。
あと四回のジャンプで目標地点だと、副脳が言う。
祖先の戦闘記録が、行く手の地形を明らかにする。
大昔、開拓初期のシェルター群だ。
デブリの雨と機械生命の攻撃にさらされ続けたそれは、裂けてねじ曲がった鉄とジュラルミン合金の森だ。
光学センサーが発信源をとらえる。
ヒトだ。
倒れている。
細い体だ。身体改造があまり進んでいない。
識別子はユニット27の所属であることを示している。
女性。十四歳。
固有名:アーデルハイト。
注
レゴリス:月の表面を覆う微細な砂。大量の酸素と少量の水素、金属を含む。工業原料となり、エネルギー源ともなる。
ホーガン:ユニット19所属。男性。三十歳。現代の地球人の感覚では三十歳は若者だが、月の裏側においては中年の半ば。平均余命は十年を越えない。
頭部は中世の騎士の兜のようなバケツ型の外骨格に覆われており、T字のスリットから十数の光学センサーがのぞいている。頭部の表面に生体部分はなく、この『兜』を脱ぐことはできない。
副脳:祖先の仮想人格のインストール先だが、未来の世代のための、ホーガン自身の人格データの保存先でもある。そのため歳をとるにしたがって、祖先のために割くリソースは減っていく。祖先は次第に言葉少なになり、呼びかけに答えることも減っていく。
身体改造:彼らは遺伝子改造によって、大人とほとんど変わらぬ体格で人工子宮から産み落とされる。最初の身体改造(サイボーグ化)は、誕生の直後に行われる。以後、段階的に身体改造は進み、成人を迎える頃(ユニットによって異なるが10歳から15歳)に一段落する。以後の身体改造は個人の選択に任される。負傷などにより改造を余儀なくされることも多いが、いつでも改造パーツと技術者がそろっているとは限らない。
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