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──私さえいなければ。
今まで何度思ったかわからない言葉だった。下を向いていると涙がこぼれそうになり、慌てて立ち上がる。頭を軽く左右に振って息を吐く。泣いている場合ではない。少しでもいい、食べられるものを探さなければ。
「おひな」
また声がした。
はっとして振り返る。だが、そこには誰もいない。
うんと小さい童の声。ひなは幾度となくその声を聞いたことがあった。聞くたび、すぐに声の主を探してみるのは癖のようなものだ。けれど、ついぞ姿を見たことはない。
怖い、とは思わなかった。
物心ついたときから聞こえる、ひなにとっては慣れ親しんだものだ。今のように十七を数える年になって初めて聞いたのなら、それは不気味にも思っただろうが。聞き親しんだ童の声は、もはやひなの一部と言ってよい。一度は救われたことさえある。
まだ幼い頃、丘の向こうの森に迷い込んだことがあった。
夢中で遊んでいるうちに日が暮れて、木立が濃い影を落とし、ひなは急に怖くなって立ち尽くした。来た道を戻ろうにも、どうやって来たのかわからない。おろおろ惑い歩くうちにすっぽりと暗闇に覆われ、幼いひなはその場にしゃがんで大泣きした。「おっとう、おっかあ!」と叫んで呼んだけれども、自分の声が森に反響するばかりで、村まで届くとは到底思われない。
そんなときだった。
「ひな、おひな」
稚い童の声。
ひなはぱっと顔を上げた。
「おひな」
確かに聞こえる。
童の声は、自分を呼んでいた。
「ひな、おひな」
声のする方向へ、半ば憑かれたように歩いた。
声は近づいたかと思うと遠ざかり、遠ざかったかと思うと励ますように近づいた。
そうして声に導かれ、いつの間にか、村に戻っていたのである。幼い娘を死に物狂いで探していた両親は、村の端っこにぽつんと立ったひなを見つけると、髪を振り乱して駆け寄ってきて、ぎゅうっと強く抱きしめてくれた。
――あのときのおっかあの胸、あったかかったなぁ。
懐かしく思い出し、また涙がこぼれそうになる。
ひなは何度もかぶりを振った。もう幼い子供ではないのだ。
わかっていても、悲しい。
あの頃は戻ってこない、決して戻ってはこないのだと思うと、胸が締めつけられるように苦しかった。
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