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先に落ちてくるなよ
雑居ビルが所狭しとあるこの街で、17年もマジメに働いてきてたはずなのになぁ……。
西日のキツい夕方の屋上で、転落防止の柵に背を預け、座り込んでタバコを吸う男が1人。
ものおもいにふけっているこの男は、つい先月にも上司のミスをなすりつけられた、いわゆるスケープゴートだった。
いつも至ってマジメに生き、仕事もそれなりにこなしてきていたが、ことごとく貧乏くじを強制的に引かされているかのような人生を送っていた。
「あ゛ぁ゛ぁー……もういっそのこと、楽になりてぇなぁ」
シケモクを地面にぐりぐりと乱暴に押し付けて火を消した男は、生きてるのかもよく分からないような掠れた声を漏らした。
膝に手を置いて起き上がると、男はそっと柵に両手を置いた。
下を覗けば、学校帰りの高校生や定時で上がれたであろうスーツの男たちが肩を組んでるんるんと歩いているのが見える。ヒールをコツコツと忙しなく鳴らしながら、カバンとスーパーのレジ袋を持って走るOLも見える。
2車線の車通りは、下りの方が少し混みかけている。
ぼんやりとみんなそれぞれ人生を謳歌しているんだろうな、きっと嫌な思いをしてるのはおれだけじゃないんだろうなと、ポツポツと思いながら男はクマだらけの眼をこすった。
男はいかにも普通のことをしているかのように柵の向こう側へと足を下ろす。
あともう1歩、足を前に出せば全てが済む。
怖くもなんとも思えなくなった男は深呼吸だけしようと目を閉じて息を吸った。
「……ぁぁぁぁぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
耳にキンキンと響く悲鳴と突然の地震のような揺れに驚いた男は思わず柵にしがみつく。
屋上の真ん中に何か居る。身をぎこちなくロボットのように、ギギッと動かす何かに男は駆け寄る。
男の靴が視界に入ったのか、その何かはバッと顔を上げた。
「「あんた、誰?」」
思わずセリフをハモってしまい、男は後ずさりする。
「ここ……屋上なんだが、何処から落ちてきた?」
「何処からって…上からしかないでしょう?」
人差し指をピンと立てて空を指す何かの正体は、白髪のそばかす女だった。
見た目は老けているように見えるのに、喋り口が若そうで年齢が全くもって予想できない。
ローブのようなものを羽織っていて、とてもスカイダイビングの人物には見えない。
落ちてきた癖して無傷なのはなんでなんだよ。
「で、あんた、誰?」
再度女から聞き直されてしまった。
「し、しがないサラリーマンだ。そういうあんたは何者だ?」
「あたし?あたしはね、バンシーってんだ。分かる?バンシー」
特段精通している訳ではないが、聞いた事はある。ゴブリンとかピクシーとかそういう……
「妖精?」
「そう!ってか、あんた死にそうな顔してるけど大丈夫?なんか話聞こっか?」
目元を真っ赤に腫らしている女は泣き顔とは反対に凄く明るく接してくる。
……せっかく、1人で最後の時だと思ったのに
「先に落ちてくるなよ……」
「え、何?先着順で何かお得にでもなる事あるの?」
「そんなのねぇよ……」
妙に目をキラキラさせて話かけてくるこの女に、これからの人生を振り回されることになるなんてこの時は1ミクロンも考えてなかった。
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