捨てられ兄、呼び出される

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捨てられ兄、呼び出される

 ――木原響さんですね。あなたのお父様がお亡くなりになりました。  弁護士だと名乗る男から連絡が来たのは、新宿の小汚ねぇホテルで知らんオッサンにチンポを突っ込まれてた、その最中だった。  留守電に吹き込まれた、淡々と事務的なメッセージ。  俺のスマホの番号なんぞ、どこでどうして調べたのかはサッパリわからねぇ。  だって俺は、俺の「親父」の顔なんぞ、物心ついてからは一度も、見たこと無かったのだ。  「親父」が金持ちだったらしいってことは、死んだお袋に聞いて知ってたが、とっくに縁なんか切れてるし、会いたいと思ったこともなかった。  死んだのは三ヶ月前らしい。  とっくに葬儀は終わってるんだと。  なんで、今更俺なんかに連絡が来たんだ?  赤ん坊の頃別れて、顔も知らない「親父」だ。  どうせ遺産のオコボレはこねぇだろうし――、と留守電メッセージを再生途中で切り上げて、削除しかけた時だった。  ――俺にどうやら、「弟」がいるらしいってことを、知ったのは――。  ジメジメした梅雨の夕暮れ時、生ゴミの据えた臭いのするアパートに帰った後で、俺はうっかり、同居人に今日あった出来事を話しちまった。 「へぇ。そんで、その金持ちの屋敷に明日、来いって? やったじゃん」  コンビニの食べカスと酒の空き缶が散らかった、1Kの築四十年のアパート。  年中出っぱなしの炬燵の上で、俺の買ってきたカップ麺を勝手に食いながら言ったのは、俺の元カレ、つうか今は単なる食い詰めた居候のリョウだ。  ボサボサの残念なソフトモヒカンに、食い物の汁で汚れたトレーナー、すね毛ボーボーのハーフパンツ姿。元イケメンが台無しだ。  ま、最近は太っちまってみる影もねぇがな。  リョウは俺が何考えてるかなんて思いもよらず、目を輝かせた。 「お前もイサンとかもらえんじゃね?」 「いや、ねーだろ。普通に怖ぇし、呼び出しとか……」  俺は擦り切れた畳に荷物を放り投げて、脱色しすぎて髪が傷みまくった頭を撫でた。  大昔に流行ったジョン・コナー風テクノカットは、オッサン客の評判はいいが、維持するのに金がかかって手入れまでは行き届かねぇ。  コンビニの袋をガサガサやり始めると、リョウがコタツから這い出て、俺の背中に抱きついてきた。 「ちょっ……てめぇとはもうやんねーよ。してぇなら金、払えや」 「ちげーよ、勘違いすんな。お前がそんな金持ちの坊ちゃんだったなんて、初耳じゃねぇか。ちょっとはむしり取ってこいよ、金をさぁ。ほら、イリューブンつうの?」  ニンニクラーメンを食ったリョウの息が猛烈に臭い。 「てめぇには関係ねぇだろ! ったく、お前、一体いつになったら出てくんだよ」  肩を強く押すと、リョウは不貞腐れながらコタツ机に戻り、不器用に麺をブチブチと噛み千切りながらカップ麺の続きを食べ始めた。 「だってよ、カネがねぇんだもん。出てけっつうなら、カネくれよぉ」  ちなみにリョウっつうのは、本名じゃない。  タチ専でウリを始める時に店長に付けられた源氏名だ。  本名はダセェから、名乗りたくないらしい。  リョウはとにかく性格がだらしなくて、入店当初は見てくれやら、ちんこのデカさやらで客がついてたものの、最近はサッパリ客が付かねぇらしい。  タチしかやんねぇから、ウケの気持ちってやつがサッパリ分からねぇせいで、エッチもど下手糞だしな。  付き合ってた頃にヒモに成り下がり、別れてからは時々襲ってくる居候(いそうろう)に格オチ。  時々日雇いに行ってるっぽいけど、貸した金なんぞ返しやしねぇでパチンコで溶かしちまう。  こんな男にカネなんかやっても無駄、やんなくてもたまに寝てる間に俺の財布からカネ抜くし、マジでどうしようもねぇクソだ。  似たような境遇だったからって、いっときウッカリ付きあっちまったことがあったことが、運の尽きだった。  ただまぁ……うるせぇこいつが家にいる間は、寂しくはない。  俺はコンビニの袋からやっすいチューハイ缶を出しながら、ため息混じりに昔話を始めた。 「……俺の母親は元々、売れっ子のキャバ嬢だったんだけどさ。昔、客だったどこぞのジジイをだまくらかして玉の輿に乗ったらしくて」 「へー、すげーじゃん! だから響は美人なんだなぁ。つか、そのジジイが響のオヤジなんだろ?」  リョウがタトゥーだらけの指を組んで神サマに祈るポーズで身を乗り出す。  俺は首を横に振りながら、タンスの上に十年置きっぱの骨壷に、チラリと目をやった。  ――母親は、派手好きで遊び好きの女だった。  素知らぬ顔で奥様になっときゃ良かったのに、彼女は、良家の嫁の生活ってヤツには馴染めなかったのだ。  結婚前からいい仲だったチンピラと浮気してるのがバレ、産み落とした一人息子ごと、彼女は旦那に捨てられた。 「……多分、母親の浮気相手が俺の本当の父親なんだよな。何しろ、結婚してる最中から、ジジイの留守中に家でヤリまくってたらしいし」 「うへぇ、さすが響の母親だなー。たいしたヤリマンだぜ」  さっきからこいつは、俺のことを褒めてるんだから馬鹿にしてるんだか。  まあ、何も考えてねぇんだよな。  こいつは心に浮かんだことをそのまんま喋っちまうアホだ。  母親もリョウと似たようなアホだった。  あんだけ浮気しといて、俺はその金持ちのジジイの子だと、信じて疑わなかった。  だから、自分が離婚して「斉藤」に戻った後も、俺の姓は「木原」のまんま変えずに残した。  ――あいつが死んだら、あんたは遺産がもらえるんだよ。  あんたにかけた金、みぃんな返して貰って、アタシはマレーシアに豪邸建てて、いい暮らしをするんだ。  だってアタシはそのためにアンタを連れてきたんだもん――それが口癖だった。  でも、スネに傷を持つ身だったせいか、お袋は離婚後、爺さんとの接触は一切していなかったらしい。  養育費のよの字も知らん女だったし、親子関係が本当にあんだか、ねぇんだかって所に突っ込まれるのも、嫌だったんだろうな。  キャバ時代はナンバーワンだったお袋も、コブ付きの年増じゃあ、昔の店に舞い戻るって訳にもいかなかった。  かと言って、昼職をやるような覚悟も才能も学歴もなく。  仕方なく彼女は、今の俺と同じ仕事――男にカラダを売って生きる世界に再就職した。  そんな母親があっけなく死んじまったのは、俺が16の時だ。  客の男にこっそりクスリを盛られて、中毒死。  いるんだ、親切そうにペットボトルだの、ケーキだのを差し入れしてきて……そこにクスリを仕込む、ひでぇヤツが。  母親はアホだったから、貰ったモンを喜んで飲み食いしちまったんだろう。  俺なんか、客に何貰っても、絶対その場では口にしねぇのにな。  ラブホの従業員が気づいた時には、裸のお袋が一人、床に転がって死んでたらしい。  クスリ盛った客の方だって、目の前で急変したとして、そりゃあ救急車も呼べねぇだろうよ。  こっそり逃げて、それきりだ。  ド底辺の高校には入ったものの、通学せずにブラブラしてた俺には、青天の霹靂ってやつ。  しかも、母親は知らん間に借金を残してて。  父親が誰かもわからねぇ、母親以外に身寄りもねぇ俺が選べる選択肢は、ハナからほとんどなかった訳だ――。 「――何で呼ばれたんだかはサッパリ分かんねぇけど。……まあ、一回だけ、どんなもんだか見てくるわ。大金持ちの家ってのがさ」 「いいなぁ。ついでになんか、カネになりそーなモン、パクってこいよ」 「無理だっつーの……」  良い加減な相槌を打ちながら、俺は炬燵机の上でぬるくなったチューハイの缶を開けた。
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