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再会
その出会いは、本当に偶然だった。
朝八時、職場近くのいつもの喫茶店。出勤前に飲む一杯の紅茶を糧に、今日も一日定時まで頑張る。そんな儀式にも似た朝のルーティーンをこなす為、彼は扉を開きベルの音に耳を澄ませた。そしていつものように、声を掛ける。
「おはようございます」
「おはよう、今日も元気だな」
喫茶店のマスターが口髭を揺らして笑う。この店がオープンしてからひとりで切り盛りしている彼は、常連である彼を息子のように毎日出迎えては見送っている。小柳一希、24歳。近くの商社に勤める、まだまだ若手のサラリーマンだ。中肉中背の身体にフィットしたスーツ、黒々とした艶のある髪を七三分けにしている。良く言えば真面目そうに見えるが、悪く言えば身持ちが堅い。そんな彼は年齢イコール恋人が居ない年月で、浮いた話は今まで一度もなかった。
「マスター、いつものを」
「おう」
気心知れた仲の二人は、「いつもの」でオーダーが通る。しかし今日はカウンター席の奥、キッチンフロアにもうひとつの人影が見えた。店の制服らしき帽子を目深に被り、白いシャツを着てバリスタエプロンを腰に巻き付けている。
「新しいスタッフですか?」
「ああ、今日から入ってな。俺の甥っ子なんだが」
「……どうも」
奥に居た人物はマスターに促され、小さく会釈した。してはいるが、その目は一希を見ていない。
「こら。ちゃんと顔を上げて挨拶をしろ」
「…しただろ、もう」
不貞腐れるように顔をしかめて言葉を投げる。その声に聞き覚えがあるような気がして、一希は目を見張った。中学生の頃に転校してきた、隣のクラスの生徒によく似ている。
「…もしかして、B組の大竹慧?」
「お客さん、人違いじゃないかな」
「こらっ!その態度は減点だぞ…その、すまないな。まだ接客に慣れていないもんで…そう言えば君は、慧と同級生か。今年で24歳だ」
マスターと店員のやりとりに苦笑いを漏らし、一希はしきりに視線を外そうとする店員を観察した。細身の体にバリスタエプロンが似合っているが、その表情はやや不貞腐れた子どものように見える。
「まぁ、最初はみんな慣れないから気にしないよ。…やっぱり、慧だ」
「…そう言うあんたは誰?」
「A組の小柳。小柳一希、憶えてる…?」
「小柳?あぁ……タケルと良くつるんでた」
「つるんではねぇ…あ…ないけど…」
ホッとしたように一希が胸を撫で下ろしたところで、カウンター席の上に琥珀色を注がれたティーカップが置かれる。傍には湯の入ったティーポットが置かれ、紅茶のいい香りが注ぎ口から漂っていた。
「…それじゃ、今日もいただきます」
「ああ」
カップの取っ手に指を引っ掛け、口元に運ぶ。ひと口含むと芳醇な香りが鼻腔を貫き、飲み込んだ後思わず深く鼻で息を吸った。
「…いい匂い。淹れ方、変えました?」
「いや…慧が初めて淹れた紅茶だ」
マスターの言葉に一希は目を細め、同級生を見つめる。彼は何処か上の空で作業を進め、紅茶の茶葉が入った缶をずらりと並んだ棚に戻した。
「…本当に初めて?」
「そうだよ」
ぶっきらぼうに言葉を返し、被っていた帽子を取る。シャツの胸ポケットに大竹と書かれた名札をつけた店員は、緩く顔を振った。ミルクティーの色に染められた髪がサイドに流れ、スローモーション映像のように緩やかに見えるその瞬間を一希はただじっと見ていた。視線を感じたのか、慧は一希の方を見返してぶっきらぼうに話しかける。
「また明日も来るんだろ。どうせまた会うんだから、そんなに見るなよ」
「…あ、うん。よろしく…」
カップに残った紅茶を飲み干し、一希は慌てて椅子から立ち上がる。職場から近いとは言え、始業前であることに変わりはなく遅刻しない様に手早く動いた。会計を済ませ、通勤鞄を手に店を後にしようとする一希の背中を黙って見つめる。
「仕事、今日もがんばれよ」
「はい、行ってきます」
マスターの激励に笑みを浮かべ、一希の挨拶に、慧も言葉を返した。
「…ありがとうございました」
運命なんて言わせねぇ、と小さく続けて。
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