腐れ縁

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腐れ縁

 奇跡や運命なんて言葉は嫌いだ。  子供の頃からそうだった。いい結果も悪い結果も自分で決めた選択の末路で、自分の責任なのだからカタチのないものに委ねたくない。それが俺の理想の生き方だった。自分の生き方は自分で決めると思っていても、現実はそんな甘くないことなんて百も承知だ。生きていくには金が必要だと言うことも、子供のうちは思うように働けないことも、身に染みついていた。元歌手だった母親に、俳優の父親。そんなものを持ってしまったから、自分で自分のことを決めることなんて碌にできないし友達も離れて行った。欲しいゲーム、欲しい服、欲しい本はすぐ手に入り、カネ自体は家に潤沢にあるのに、俺のやりたいことはひとつもできなかった。友達を家に招いたり、誰かの家に泊まったり、家族でキャンプや遊園地なんてもっての外だ。  中学1年の夏、親の都合で転校せざるを得ない状況に立たされた俺は共学の中学よりも、全寮制の中高一貫男子校を選んだ。一刻も早く実家を出たい、その口実になったから。死に物狂いで勉強して、自分の力を親に認めさせ掴み取った片道切符。勉強の傍ら未成年でもできるモデルのバイトに時間を費やし、自分の為に日銭を稼いだ。  そして転入初日、俺と同じ寮室のあいつが校門まで迎えに来た。   小柳一希(おやなぎいつき)、その日から腐れ縁で何かと鉢合わせになることが多かった男。寄りにもよってルームメイトになってしまったあいつは隣のクラスの生徒で、俺が距離を取っていても向こうから近づいて来た。そいつのペースに飲まれたら終わりだと思っていた。  俺を見つけるなり、自己紹介した後「もしかしてこれが運命の出会いになるかもね?」なんて言うそいつの思考回路には正直、嫌気が差した。随分と変わっている奴だと思っていたけれど、勉強も運動も卒なくできてそれなりに人気がある。   サッカー部所属で、俺と同じクラスの仲村タケルといつもつるんでいた。その事を知らずにサッカー部へ入ってしまって、直ぐに後悔した。見た目は普通の中学生だったけれど、明るくて華のある奴だったのは認めよう。  あの頃からあいつは何でいつもヘラヘラしていられるのだろうと、不思議に思えるくらいだった。 『なんでまたお前と同じ班なんだよ』 『俺たち運命共同体だからかな!』 『何でこんなことに…』 『此処で凍えるか生き残るか、選ぶとしたらどちらにする?』 …嫌な事を思い出してしまいそうになって、思わず身震いした。 「あぁ、クソ…」 「(さとし)!」 「…すいません…嫌な事思い出して」 「もしかして、さっきの彼か?同級生らしいが…」 「ただの同級生です。…ただの」  バリスタエプロンを巻いてここに立っていること自体は、俺が望んだ事だった。それなのに寄りによってアイツと出くわすなんて予想できていなかった。        それ自体、ツイてない。  運命だのと一言で済ませられるのが許せなくて煩わしい奴だったのに、今は何故か胸騒ぎがする。あいつはまた、明日の朝も同じ時間に来るのだろうか。 「おじ…店長、朝のシフト抜けられませんか」 「無理だな。モーニングの時間帯が一番忙しいんだ」 「…」 「そちらのオーダーを出したら、焙煎した豆を挽いてくれ。3番の棚にキリマンジャロがあるから」 「はいはい…了解」  コーヒーカップに黒々とした飲み物を注ぎ、ソーサーに載せてカウンター席のテーブルに出す。一番忙しい時間帯を過ぎた今、時計は午前11時を差していた。客は今のところアイツと、この人を含めて数名しか見ていない。 (本当に忙しいのかよ…) 「ホットコーヒー、お待たせしました」 「あら。見ない顔ね、ありがとう」  身のこなしが優雅で、少し声の低い女優のようなお客から挨拶が返され、俺は頷くしかなかった。目力が強くて、何処かで見たことのあるおばさんだ。 「おはよう、マチ子ちゃん!紹介するよ、俺の甥っ子だ。慧って言う…」 「…ああ、この子が…。いい子ね。お母さんによく似てる」 「はぁ?…どうも…」  こんな場所にも母親を知っている人が居たとは知らず、適当に返事をすることしかできなかった。まぁ、芸能人なんてものはそんなもんなのだろう。あの人に似ているなんて言われるのは正直心外ではあるが、それの副産物でたまにモデルのバイトをしたり街頭でスカウトを受けることもある。モデル自体はそれなりの小遣いになるし、中学の時からやっていてそれなりに慣れている。芸能界に入るなんてまっぴら御免だけれど。 「マスター、キャスト。良さそうなの見つけてくれた?」 「はぁ、それが何とも…ひとりいるんですが、お客さんでしてね」  そのおばさんとマスターが親し気に…と言うか、仕事の打ち合わせか何かのような会話を交わしている横で、棚から取り出したコーヒーミルと焙煎したばかりの豆で無心にコーヒー豆を挽く。未だにコーヒーは飲めないけれど、この独特な匂いと豆を挽く音は好きだった。 「あら…もう一人は此処に居るじゃない」 「は?」 「彼が」  視線を感じ、ハンドルを回す手が止まった。顔を上げると、二人の視線が俺に向いている。 「あの…俺のことです?」 「そうね。あなたしか居ないわ」 「…一体何をやらせようって言うんですか…?」  すごく嫌な予感がした。…こういう時の予感は、外れて欲しいのによく当たる。抗いたいのに抗えない予感がして、両耳を塞ぎたくなった。 「うちのCMに出る新人を探しているの。役者として」 「…役者…?」 「そう。あぁ、あたしは夏目真智子。昔は演技もしてたけど、今は小さい会社の社長をやっているわ。映画監督とか脚本とか、偶にCMへ起用する新人探しもやってる。それが上手くいけばWebドラマ化も考えているわ」 「はぁ」 「あたしの会社で働いてた事務員が、ここの喫茶店の常連でね。教えてもらって以来、ここの珈琲以外は受け付けないの。そう言えば去年入った若い子も、毎朝この店に来てるって言ってたのだけど」  その時だった。  ドアベルがけたたましく鳴って、店の扉が開かれると同時に体感温度が急に上がる。 「夏目先生っ、此処に来るなら一言…」  扉が閉まると、息を切らしているスーツ姿の男が一人。 「なんてこった……」 「…はは…さっき振りだな」  そいつはあの、小柳一希だった。
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