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運命
「…どうしてまた…」
「俺の仕事先が…オフィスナツメだから」
「んなの聞いてねぇよ。あのおば…お客さんに何か言われたりしてないか」
「え?」
「その…CM出演だか何とか」
「ああ…うん、CMに起用したい人材を探してる最中なんだ。それ以上は企業機密で言えないけど」
我ながらよく思ってもないことをすらすらと言えたもんだ。次の企画の主役二人のうち、一人を俺にしたいと言われた時は驚いたけど、その時から俺の心の中では相手が決まっていた。だけど居場所も知らないままそんなことを言い出せなくて、今日までぼんやりと生きてきた。まさか自分の上司が自分のお気に入りの場所に来て彼を口説いているなんて、思いもしなかったけれど。
いつも通りの時間に出勤しても、上司はオフィスに来なかった。それどころか先輩から『先生を探してきて』と云われ、真っ先に思いついたのが此処だった。
…慧に会いたかったのも、僅かながらあったけれど。自分の勘を頼りに来たら、探している人がいた。ただそれだけのことだった。
「小柳くん、二人目は彼がいいと思うの。演技力はこれから磨けばいいし、ルックス良いでしょう?」
「確かに」
面と向かって言われれば、そうだとしか言えない。学生の頃から彼は美形で、モデルのバイト経験があるってのも頷けた。サッカー部に入って早々レギュラー入りするし、勉強もできる非の打ち所がない男。
そんな元ルームメイトとこんな場所で再会して、仕事で関わることになりかけているらしいなんて夢にも思わなかった。必死で勉強して、ようやく掴み取った憧れの芸能関係の仕事。想像していたものとは少し違ったけれど、人を輝かせ、売り出すのなら自分のやりたいことには違いない。それが巡り巡って彼との再会を引き寄せたのなら、俺とあいつは運命ってやつなんでは、と本気で思った。
「…僕は彼じゃなきゃダメだと思います。…彼が良ければ、ですが」
「おい、勝手に話を進めるなよ…俺はやるなんて一言も言ってないぞ。それに何なんだよ、その企画ってやつは…」
「…うちで引き受けたドラマCDのCMキャストよ。ドラマCDに出演した声優は出せないから、別の二人を探しているの。それも手垢のついていない、まっさらな新人を」
「で、そのドラマCDって…」
「あ、興味出てきた?デモ版だけど、聞いてから返事をくれればいいよ。報酬は勿論出すし…俺も、おまえとなら…」
「は?」
怪訝そうな表情を浮かべる彼に近づいて、鞄の中から出したジャケットイラストのないCDケースをカウンター越しに渡す。聞いてから判断してもらうのが一番だと思っていた。嫌だったら無理強いはしたくないから。
「…その、ジャンル的には恋愛ものなんだけど」
彼の表情がますます険しくなる。ここまでは予想していた。
「回りくどいわね。ボーイズラブのドラマCDって言ったら分かるかしら」
「んなっ…」
「先生!」
その一言で、もう駄目だと思った。
完全な素人の上にノンケなら、引き受けたくない仕事だろう。彼がそれに抱いている大体のイメージとか、次に彼が何と言うのかも色々想像がついてしまって、俺は今すぐにでも職場に帰りたくなった。
「…考えとく」
「は?」
俺は自分の耳を疑った。
「流行りなんだろ、BLドラマ…聞いてから考える。マスター、そう言うことなんだけど」
「おう。やりたいこと、見つかったか」
「まだ分かんない。けど引き受けることになったら、仕事に穴が開いても怒らない?」
「誰でもないマチコちゃんのスカウトだからな。やってみろよ、それ」
「うん」
こんなにもうまくいきすぎていいのかと、何もかもが夢のように思えた。彼の恥ずかしそうに笑う顔を久しぶりに見て、やっぱり彼じゃないと駄目だなと確信する。
仕事でもCMでも何だっていい。学生時代から引き摺っていた片想いの相手と、またこうして会えるなら。
× × ×
一希と夏目が店を後にし、慧は大きく息を吐き出して貰ったばかりのCDケースを見つめた。間もなくランチ営業の時間になろうとしているのを時計で確認し、店のマスターに問いかける。
「…ちょっと聞いてきてもいいですか?」
「ああ、昼はそこまで忙しくないからな。今から一時間、休んで来い」
「はい」
厨房の裏口から出て廊下を通り、慧が居住スペースにしている屋根裏部屋に上がる。室内はベッドと小さい冷蔵庫、小さい座卓とテレビを置いただけでやや狭いが電気・冷暖房完備で、ひとりで寝泊まりするなら十分なスペースだった。扉を閉めて部屋に入ると、テレビに接続しているゲーム機器に今しがた渡されたCDを入れる。テレビとゲーム機の電源を入れ、コントローラーでCD再生のメニューを選択した。タイトルは【運命のひと】と書かれている。
「はっ、冗談かよ…」
笑い飛ばしたのも束の間、再生した瞬間慧の耳に入ってきたのは、荒い息遣いだった。どうやらラブシーンと思しき場面らしい。
『…っ、好き、好きだよ…さとる…』
『ン…(ちゅっ)…それ以上喋るなよ、舌噛むぞ』
『うっ、あぁっ…!そこ…!』
「なんだこれは!!!」
慧は顔を真っ赤にしてCDの再生を急いで止めた。まさかこんな導入から始まるとは思わず、声を荒げてしまったが心を落ち着かせる。冷蔵庫から冷えたコーラのペットボトルを取り出し、キャップを外して数口飲んだ。
これはドラマのごく一部であって、仮に自分と一希がCMに出ても、流石にこんなシーンは撮らないだろう。深呼吸した後、シークバーを動かして先送りし、再びCDを再生する。
『かずき…もしかして興奮してる?』
『しっ、してないよ…俺は、何も』
『ふーん…じゃあなんで僕の裸をじっと見てたの?』
『見てないってば…!』
「どういうシチュなんだよ…」
聞いているだけで恥ずかしくなりそうなやりとりに、身体の奥がむずむずしてくるようで非常に居心地が悪くなった。聞いているうちに把握したのは、登場人物のうち声の低い【さとる】と声の高い【かずき】は高校2年の同級生で、密やかに互いが惹かれ合っていたことだ。【かずき】はある日の放課後、幼馴染みの【よしこ】と言う名の女子に告白され、その場面を【さとる】に見られてしまう…と言う展開の後から冒頭の結ばれるまでに至るまでの物語だった。冒頭の次に聞いたシーンは修学旅行の最中、ばったり大浴場で鉢合わせしてしまい、互いに意識しているのがわかるシーンだった。高校生のうちから拗れた恋愛をしているなと思いつつも、何となく最後まで聞いてしまいラストは思わず涙ぐんでしまった。タイトルの【運命のひと】と言うのはどうやら主人公二人が互いに抱いていた感情ではなく、登場人物それぞれにとっての運命の人を指しているらしい、とエピローグで汲み取る。
「…ふーん…悪くないじゃん、意外に」
気づけば休憩時間の四分の三が経過しており、再生を終えたCDをゲーム機から取り出しCDケースに仕舞う。
このCDを宣伝するためのCMに出るかどうかは、既に答えが決まっていた。
「…明日あいつが来たら…返事をしなきゃいけないな」
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