始動

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始動

 深呼吸し、初めて会う面々の顔を見渡す。ドラマCDのプロモーション短編ドラマに出演する俳優として抜擢された(さとし)は、多数の関係者たちと顔合わせを兼ねたミーティングに参加していた。 「…では、キャストの紹介です。【さとる】役は弊社社員の、小柳一希(おやなぎかずき)が担当します」 「小柳です。演技等は初心者ですが、抜擢された以上は精一杯頑張ります。よろしくお願いします」 「続いて、【かずき】役の…」 「大竹慧(おおたけさとし)、24歳。何年か前まではモデルやってました。よろしく」  ややぶっきらぼうに自己紹介してはいるが、それは緊張している為だ。机の上に出ていた両手を膝の上に移動させているが、指先が震えているのを隠すしたいからだった。 「…二人は聞いた通り、演技は素人。だけど光るモノがあると見込んで今回の役を頼んだの。フォロー、頼むわね」 「「はい」」  オフィス・ナツメの社長である彼女から言われれば、他の社員は否とは言えない。それだけ彼女が人を見る目は誰もが信頼でき、かつ力を出さねばと思える主導者だった。それは慧が初めて彼女を見たときから感じていたものであり、この職場なら手を貸してもいいと思えた理由でもある。 「…では、本題に入ります。今回のプロモーションはボーイズラブドラマCDの宣伝用映像で、二人には作品に沿った動き、演技を行ってもらいます。ドラマの内容は既にお聞きになっていると聞きました。小柳さんが『攻』、大竹さんが『受』になるのですが、当人が配役に関して異議はありませんか?」 「ありません」 「…俺も、ありません」  噛み締めるように一希が言葉を返すと、慧は彼の顔を一瞥し同じように頷いた。  一希も慧もその役に徹する為、撮影の完成に至るまでは演者専用の社宅で共同生活を送ることになると説明が入る。それぞれが暮らす個室の他にダイニングキッチン・風呂・トイレは共用で、一通りの家具は揃っていた。家事や掃除は二人で相談の元進める必要があるが、共同生活を通して相手のことを知り、演技にも生かすというオフィス・ナツメ独自の新人育成システムで、その社宅から生まれた現役俳優・女優の数はそれなりに多い。かつ、演者同士のカップルも生まれたことがあり、この社宅で過ごしながら仕事をするといいことも悪い事もあると実しやかに囁かれている場所だった。 「共同生活と言っても生活基盤は個室ですし、門限もありません。お互いがお互いを尊重することで生まれる相乗効果を期待しています」 「軌道に乗れば撮影は1ヶ月も掛からないわ。ショートドラマとは言え、役者はあなたたち2人のみ。つまりはあなたたちの関係次第で早く完成もするし、延長する可能性だってある」 「…わかりました。私にも彼にも本来の仕事があるので、昼間はそんなに同じ時間を過ごすことはありませんが…役に徹することができるように最大限力を出したいと思います」 「学生の寮生活みたいなもんでしょう…?なら、そんなに不安にはならないので大丈夫です。…小柳とは元ルームメイトだったので」  淡々と言い切る慧の言葉に、一同は驚く素振りもなく頷くだけだった。一希が事前に関与するスタッフへ告げていたようで、かえって話が早く終わると少しばかり安堵した。 「それでは早速、撮影の段取りと入居の手続きを。入居日は、直近だと…」 「明日でいいです」 「はい?」  思いがけない言葉に進行スタッフだけでなく、一希も目を丸くする。この打ち合わせ以前に、社宅暮らしになるとは言っていない筈だった。 「…この会社と仕事をするなら、事前に簡単な荷造りは済ませておけと母から聞いていたので…」 「…ああ。なるほどね」  社長である夏目真智子は元女優で、慧の言葉の意味を深く知っている。慧の両親、父である大竹衛(おおたけまもる)は俳優で、母であり元歌手の大竹さとみとはここの社宅で出会ったのだと先日初めて聞いたばかりだった。真偽を問う為久方ぶりに母へ連絡を取った慧は、それが事実なのだと聞いてなんとも言えない気持ちになったのが記憶に新しい。 「…それなら決まりね。明日、2人とも入居しなさい。社宅の住所はここ。守衛には予め言っておくから」  物件の間取りや住所の書かれた紙を受け取り、2人はそれぞれの思いを抱えながらもミーティングを終えるのだった。
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