妄想にて会いましょう

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「やあ、アイちゃん。今日は……悲しいことがあったんだね。」 「…………。」 ハル君は図書館の窓辺においてある灰色の二人掛けソファに座っていた。 読んでいた本を閉じ、整った顔をゆがめて、茶色の瞳を私に向けていた。 ハル君の瞳と私の瞳が交差したとき、私は何か言おうとして口をはくはくさせた。 でも、目を真っ赤にはらした私は何も言えずにうつむいた。 ……古本屋さんをクビになったのだ。 何かミスをしたというわけではない。 店長曰く、経営状況の悪化でアルバイトを雇う余裕がなくなった、とのことだ。 クビになったことが悲しいのではない。 古本から人が離れていっているのを肌で感じているようで悲しいのだ。 私は妄想の世界をよりリアルにするために本を読んでいる。 しかし、紙の本にはその重みがある。 ページをめくる質感がある。 紙のこすれる音がする。 私は、本のそういうところが好きなのだ。 そういう本の良さが気付かれにくくなっている気がして……。 「言いたくないことは言わなくて良いんだよ。」 「こっちへおいで。」 ハル君がソファの横をぽんぽんと叩くので、私は顔をあげずにそこへ座った。 「よしよし。」 「アイちゃんは良い子良い子……。」 私の顔を自分の胸に押し付けるようにして、抱きしめて、ハル君は私の頭をなでる。 こういうとき、可愛い女は瞳を潤ませ、頬を上気させ、ぽろぽろ涙をこぼしそうなものだが。 あいにく私は「好きな人に抱きしめられている」という状況である。 違う意味で顔が赤い。 「……少しは気が紛れたかな?」 上から降ってきた声に、思わず顔をあげる。 茶色の瞳に赤い顔が映っていた。 「うん、うん。」 ハル君は満足そうにうなずいている。 そして、私の頭をぽんぽんと撫でた。 その瞬間何か大事なことを忘れたような気がした。 あれ、私、何でここに来たんだっけ……。 まあ、いいか。 「また来るね、ハル君。」 私はソファから立ち上がり、図書館の出口に向かって歩いた。 後ろの声には気づかず。 「うんうん、順調だね、アイちゃん。」
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