6th Sign : 怠惰のモラトリアム

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「そういえば、長井くんも池永くんも、もういい歳なんだろう? 素敵な出会いとかこれはと思う人って居ないのかな?」  非正規雇用で家庭を持った親父を責めるつもりは無いが、見習おうとは思っていない。 「アプリとかでヤってもいいかなって女はそこそこ見つかるんすけど、会って話すと職業とか年収とかつまんねーコトばっか聞いてくるんすよ。男が女を食わすって考え方、時代遅れだと思うんすよね」  こいつは何様のつもりなんだろうか。 「確かに時代遅れだ。私の妻は、中学時代に同級生だったんだ。いいとこ生まれのお嬢さんで、大学を出て大手に就職したいわゆるバリキャリなんだけどその両親がいい男見つけて寿退社しろとうるさかったらしい」  なんて羨ましい悩みなんだ。人生にただ言われたままに走ってるだけで食っていけるレールがあること自体、かなり恵まれた話だろ。 「そんなある日、私が当時雇われ店長をしていたバーにふらりと飲みにやってきたんだ。そこでそんな話をするから、『もし俺と結婚したら、旦那がいわゆる3Bなら仕事を辞めるわけにはいかなくなるよ』と冗談交じりに提案したらあっさりと承諾してくれたのが出会いだ」  田中さんはハイボールの入ったグラスを口に運んで傾けた。 「妻は私の子供をお腹に抱え、両親に自分を勘当させて家を出た。世の中、そんな出会いもあるんだよ」 「それいっすね。俺、そんな人と結婚したら絶対に働かねっすよ」  お前にそんな人を射止める魅力は全く無いだろ。 「ところがそんなわけにはいかないんだ。みじめなもんだぞ? 母親みたいに家事を全部してくれて、会社が大手だから産休育休の間もずっと手当を支給してくれてその金でバーテンやって稼いだ金だけで食ってた頃じゃ考えられなかった生活するってのは。だからオーナーに話を通してバーを辞めて、ここでなんとしても正社員になってやるぞと思って働いて今に至るんだよ」 「俺、母ちゃんとふたりで暮らしてて家事全部母ちゃんがやってるっすけどそんなこと全然思わねっすよ」  田中さんはグラスを空けると、全員分の飲み物を店員に頼んだ。 「お開きにする前に聞こうと思うが、池永くんはその辺についてどう思ってる?」 「そうですね。その前に、やっぱりそういうことに責任を持てる水準での生活を手に入れることが先ですね。僕は父が派遣社員で、恨んでるってほどではありませんがそれなりの思いはしてきましたので」  〆のアイスコーヒー2つとオレンジソーダがテーブルに運ばれてきた。田中さんはブラックのまま直接口をつけた。 「実に君らしい実直な考え方だね。それなら、正社員採用を目指して頑張ってくれ」 「はい、頑張ります」  俺たちは、グラスを空けると店を出た。 「池永くん、私と長井くんはもう一本吸ってから帰る。帰りの交通費は全て領収書切ってもらってとっといてね」 「はい、お疲れ様でした」  俺は出入口の灰皿を囲んで煙草に火をつけていた田中さんと長井に一礼してから帰路についた。  ◇◆◇ 「まず改めて、挨拶からさせてもらう。前所長の本社への異動に伴い、本年度から当事業所の所長となった田中だ。よろしく」  年度が変わった初日の朝礼。俺と長井は拍手を送った。 「また、私が所長に昇進したことに伴い、長井を正社員として当社に迎えることとなった。長井くん、軽くでいいから挨拶してくれ」 「うっす。長井です。これからは、派遣ではなく正社員である誇りと自負を胸に仕事を頑張ります」  俺と田中所長は拍手を送った。 「長井くん。早速正社員としての初仕事だが、現場の清掃と備品の在庫のチェックをしていてくれ。私は池永くんに話さねばならないことがある。長くなりそうだしその間現場ではひとりになるだろうが、休憩等は自己判断で欠かさず行ってくれ。元方さんのほうは本部での新年度の挨拶および研修で終日現場には入らないそうだから、間違っても無理をして粗相を起こさないように」  要するに現場に入ったフリして喫煙室でスマホ片手にずっとサボってても誰にもバレないぞってことだろう。スマホに加えモバイルバッテリーなんか持っていきやがって、あんま調子に乗ってると足元掬われるぞ。 「うっす。行ってきます」 「池永くん、ちょっと一服してくるからそこで待っててくれ」  田中さんが事務所を出て喫煙室へと向かっていった。 「ギャッハッハ、ザマーミロっすね!」  長井の笑い声が、こちらの耳に入るくらいに響き渡った。 「池永、待たせたな。君にはホントにしてやられたよ」  田中さんは戻ってくると、実に険しい顔をしていた。 「どういうことですか?」 「どうもこうもだ。君は派遣元と無期雇用契約を結んでいるそうじゃないか」  ちょっと待て、俺は正社員としての働き口を探してたんだ。そんなずっと派遣社員で働き続ける契約なんて、するわけ無いじゃないか。 「そんなの初耳ですよ! 何かの間違いじゃないですか?」 「何が、『椅子取りゲームで負けたんでしょう』、『話があるものとばかり思ってました』だよ。白々しいよ。派遣の営業さんも言ってたよ? 『どの派遣先からも正社員の話があったが、その度に正社員の仕事は荷が重すぎるから派遣がいいと断られた』って。仕事の責任の軽い派遣の仕事を正社員を目指してるフリをしながら場所を転々として続ける道を選んだのは、他でもない君じゃないか!」  おかしい。そんなこと言った覚えは全く無い。それに、営業から聞いた話と違い過ぎる。
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