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「何が、『椅子取りゲームで負けたんでしょう』、『話があるものとばかり思ってました』だよ。白々しいよ。派遣の営業さんも言ってたよ? 『どの派遣先からも正社員の話があったが、その度に正社員の仕事は荷が重すぎるから派遣がいいと断られた』って。仕事の責任の軽い派遣の仕事を正社員を目指してるフリをしながら場所を転々として続ける道を選んだのは、他でもない君じゃないか!」
おかしい。そんなこと言った覚えは全く無い。それに、営業から聞いた話と違いすぎる。
「全く身に覚えが無いですよ! そんなこと言ってません!」
「もしかして、ここの仕事が思いのほかラクだから考えが変わったのかな? それにしても、もう決まったことだ。もう何を騒いでも後の祭りだよ。幸い現場での仕事ぶりに問題が無いからしばらく派遣として雇い続けるが、他の正社員候補が育ったら君は出ていってくれ」
ふざけるな。何のために今の今までどんなストレスも我慢しながら頑張ってきたんだ。
「腑に落ちない顔をしているね。幸い今日は忙しくないし、一日出勤してたことにしてあげるからこれ以上は派遣元でゆっくり話し合ってくれると助かるよ」
俺は派遣の営業に電話をかけた。
「お疲れ様です、池永です。正平さん、僕の雇用形態の件で聞きたいことがありますが、お時間のほうは大丈夫でしょうか」
「池永くん、お疲れ様。そうだね、日中はちょっと厳しいから、夜になったら落ち合おう。詳しくはこちらから改めて電話する」
「わかりました。お願いします」
営業はそう言うと、通話を切った。
「向こうの都合で、日中は厳しいそうです」
「いいよ。君、心中穏やかではなさそうに見えるから、それまで自宅で頭を冷やしてて」
「……わかりました。本日はこれで失礼します。お疲れ様でした」
いろいろと腑に落ちないことが半分と田中所長や営業の態度からキナ臭い雰囲気がするのがもう半分とで足が重かったが、決まったことは仕方ないので俺は自宅で着信を待つことにした。
「池永くん、お疲れさん。なんでも頼んでいいから好きなだけ食べてね」
指定された焼き鳥屋に行くと、正平さんとともに個室へと案内された。
「お疲れ様です。早速ですが、話がありまして」
「まーまーまー。せっかくだから、まずは食べて落ち着こう」
俺と正平さんがコーラとビールで乾杯したのち口のなかへ注いでいると、焼き鳥が次々運ばれてきた。
「池永くんは、普段こういう店には来るの?」
「焼き鳥自体、かなり久しぶりです。衣の付いていない肉は、スーパーの惣菜でも高くつきますから」
「そうか、今日はいっぱい食べてね」
普段汗をそこまでかかない正平さんは顔にじっとりと汗を浮かべ、心なしかその両眼は泳いで見えた。
「そろそろお話の内容に移ります。僕、いつの間に無期雇用派遣になったんですか?」
「田中さんから連絡があってからだよ。『本人が無期雇用派遣を希望しているから、正規雇用を目指して働いてくれる新しい人材をよこしてくれ』って言ってたから、君はもうそれが3回目だし無期雇用派遣にしていいかなって」
話が違う。田中さんと正平さんで話が全く食い違うし、俺はそんなこと一切言っていない。それに、3回目ってどういうことだ?
「3回目、とは?」
「最初入ったとこ、君のことをすごく買っててね。枠をひとつ増やしてでも取ろうと思ってたって。でも、君はそのときなんにも言わなかったじゃん」
そんな話、初めて聞いたぞ。
「そんなこと、聞かされてないです」
「あれ? そうだっけ? それにしても、本当に入りたかったならそれくらい確認するよね? 次のとこも、まえに派遣出したところでそんな感じだったよって言ったらすごくガッカリしてた」
ひとつ、聞きたいことがある。
「正平さん、言ってましたよね? 『残念な結果に終わった』って。あれ、どんな意味だったんですか?」
「言葉どおりの意味だよ。『向こうにはそこまで気に入ってもらえてたのに、君のお眼鏡に叶わなかったようで残念だったね』って。でも、わかったでしょ? 紹介予定派遣って、あんなとこなのが普通なんだからそこは弁えないと」
「こっちは『残念ながら僕が向こうに受け入れてもらえなかった』って意味だとばかり思ってましたよ! 一切話を通してもらえてませんでしたから!」
俺は思わずテーブルを拳で叩いた。
「そう熱くならないでよ。こっちも少し不備があったかもしれないけれど、勝手に勘違いしたのは他でもない君自身だ。勝手といえば、いま働いてるとこの新所長さんもかなりだよね」
どういうことだ。
「言ってたよ。『最高の布陣を手に入れた。聞き分けが良く責任感の強い奴が入ったから現場はそいつにワンオペでやらせて、自分ひとりじゃ何ひとつ出来ない奴を次期所長候補として育てている体裁でいけば私はこの事業所から離れずに済む』って」
「なんなんですかそれ」
正平は嬉しそうに口角を上げた。
「いまの派遣先、あの事業所以外の現場は毎日すごく忙しいらしいじゃん。長い間苦労してきた前所長は激務だろうと少しでも出世したがってたみたいだけど、現所長はいまのラクな現場をすごく気に入ってるから定年まで居座りたいんだって」
正平は嬉々とした顔でジョッキのビールを飲み干した。
「なら、どうするか。誰の目にも使い物にならない奴を後釜候補として事あるごとに連れ回し、聞き分けのいい奴に関しては出世欲が全く無い旨を本社に突きつける。そうすることで、現場は上手く回りながら自分は『所長止まり』でいられるってのが彼の戦略なんだと」
「そんな理由で僕の頑張りは反故にされたんですか」
俺は無意識に食べ終えた焼き鳥の串を何本も真っ二つに折っていた。
「そう言うなよ。彼の子どももいつか大きくなっていろいろわかるようになる。そのとき、全国ネットでCMが流れているような大企業の工場とその元請の中小企業の本社、どちらを『勤め先』として名乗りたいと思う? ひとり身の君にはわからない話かもしれないけど。あ、ついでにこれ、人事異動で責任者が変わったから新しい就労通知書ね」
「もういいですよ。おおよそどんな話かはわかりました」
正平の表情が諭すような目に変わった。
「そこだよ。君はせっかちだからすぐに早合点するんだ。もしかしたら田中所長から話があったかもしれないけど、うちから新たに尾崎くんって子を『君の代わりの社員候補』としてそっちに出す予定だ。『もし彼が育ったら』君は食いっぱぐれるよ。『要領よく』頑張ってね」
「わかりました。失礼します」
俺は焼き鳥屋でさんざん飲んだコーラを自販機で買い直し、飲みながら夜風に当たって頭を冷やしてスマホを手に取り田中所長に電話をかけた。
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