6th Sign : 怠惰のモラトリアム

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「わかりました。失礼します」  俺は焼き鳥屋でさんざん飲んだコーラを自販機で買い直し、飲みながら夜風に当たって頭を冷やしてスマホを手に取り田中所長に電話をかけた。 「もしもし、夜分遅くに恐れ入ります、池永です」 「お疲れ様。聞かされただろうけど、池永くんの担当の営業も大概だよね。『仕事においてタスク管理は業務を円滑なものとするためにかなり重要なんだ』って」  どいつもこいつも自分のことを聞かれるとすぐに棚に上げやがって。 「すみません、田中所長に申し上げたいことがあってお電話しました」 「落ち着いて、話を最後まで聞いてよ。『だから派遣先のウケがよく忍耐力の高い奴は、払いがいいが誰を出しても長続きしないようなハードな現場に送って潰れるか期間満了するまで働かせ、もし正社員採用の話があってもそれは通さず再利用して飼い殺す。逆に扱いに困る奴は、贅沢言えたもんじゃないくらい人手が枯渇してる会社にさっさと押し付けてしまう。そうすると業務の手間を大幅に減らしつつ収益を安定させれる』って言ってたんだよ。ひどいよね」  チクり合いでヘイトの矛先を向けさせ合いやがって。おかげで正平が俺をどう扱ってくれやがったかはわかったが、お前にも言いたいことがあるんだ。 「田中所長、やはり所長のところには紹介予定派遣として派遣され、僕が無期雇用派遣になったのは所長に首を横に振られたからだと聞きましたが?」 「営業さんの人生に、私は同情するけどね。学生時代は将来どこまで役に立つかわからないことばっか先公共が偉そうに押し付けてきて、そのストレスで大人しくヘコヘコ言うコトを聞くマジメ君を何度シメたかわからなかったって」  またはぐらかしやがって。いい加減にしろよ。 「でも就職の際に条件のいい会社を斡旋してもらえたのはシメられ放題で前歯を全て失った女々しいマジメ君で、自分はブラック企業ばっかりだったと。似たような境遇だったから、そんなのは理不尽だって気持ちはすごくわかるんだ。  世の中は逆だろ? 娑婆い奴が気合入った強い奴に食いものにされるのが弱肉強食の世界だろってね。彼にとって、君は蹂躙と搾取と殲滅の対象なんだよ。もしかしたら、君にも前歯を全て失ってでもそれを打ち破る気概があればそんな仕打ちを受けなかったかもしれないね」  ふざけるな、そんなものは権力者の横暴だとは思いつつ、逆らった先に食いつなぐ手段を俺は見い出せなかった。 「そんなわけで、どんなに言いたいことがあろうとも、君ももう35歳の中年フリーターだ。そこは何も変わらない。『真面目に頑張りさえすればその成果を認めてもらえる』なんてムシのいい話は無かったんだよ。もう今さら他所でやり直すことなんてできないし、『もし次が見つかるようなことがあれば』君はお役御免だから、『要領よく』頑張ってね」  田中はそこまで言うと電話を切った。次の日からまたワンオペで現場をまわす『同じような毎日』が始まった。気がつけば俺は、ホラー映画や銃やナイフの動画ばかり眺めるようになっていた。  ◇◆◇ 「池永さん。こちらのほう終わりましたので、確認をお願いしてもいいですか?」  人事が決定してからしばらくして、話のとおりに新人が派遣されてきた。この尾崎くんは、礼儀正しく真面目で仕事をそつなくこなし、おまけに若い。『そういう理由』で選ばれた人材なのだろう。 「うん、うん。問題ないよ。これでいい。そういえば尾崎くん、今日は残業大丈夫? トラブルで入荷が遅れてるからちょっと定時過ぎてからじゃないと始めれないし、元方さんの都合で今日じゅうに仕上げないといけないんだ」 「できます。仕方ないですよね」  やれやれ。田中も正平もこういうとき思ったんだろうな、『お人好しのバカが真に受けやがって』って。  今日俺は、皆さまの望んだとおり、『要領よく』こいつを利用する。 「そう言ってもらえると助かるよ。特別許可で元方の社員さんが居なくても作業できるんだ、大事が無いようにと終わったあとの戸締まりはしっかりね」  田中と長井が現場にはほとんど顔すら出さずに休憩所を転々としている間、俺は元方さんから直接案件を受け取って書類だけ田中を経由させた。その日々のなかで、俺は現場の信用を勝ち取った。  今日は、それを裏切るんだけどな。 「それじゃ、今のうちに休憩しててね。休憩も、大事な仕事だよ」 「わかりました」  さて、始めるか。俺の紹介予定派遣人生の集大成を。 「はい、えー視聴者の皆さま、こちらがCMでもおなじみのあの大企業の製造現場になります。元方さんおよび当社のホームページ、現場所在地等は概要欄にございますので是非チェックしてみてください」  俺は工場内の設備や書類、完成前の製品をスマホのカメラに映していった。 「池永さん、何してるんですか?」 「何って、現場の実況生中継だよ。天下の大企業の重大機密情報って、数字取れそうだろ?」  別にやましい話なわけではない。ただ、原価がバレて値切られたり競合他社が喜んでノウハウを盗んだり株主様に逃げられて株価が大暴落したり、『こんなことする奴を現場に入れやがった』請負や派遣元が責任を取らさせられつつ信用を失ったりするだけだ。 「あ、すみません、紹介が遅れました。今回アシスタントを務めていただく後輩の尾崎くんです!」  俺は生配信を構わず続け、戦々慄々した顔の尾崎くんを大型研磨機の前へと促した。 「こちらは我々の派遣先でもある元請がこの工場内に持ち込んだ研磨機となります。どんな素材の平板も、これひとつで凹凸のないぴかぴかな平面にできるんですよ! やってみますね!」  俺は三脚にスマホをセットした。 「あ! そのまえに! こちらは大変強力なフラッシュライトです。ストロボ機能で点滅発光させて相手の顔を照らすと!」  俺は尾崎くんの顔面を照らし、隠し持っていたナイフで腹を刺して両腕両足の腱を切った。 「このように脳が一時的にパニックを起こし、その隙に刃物で刺されると相手は全く抵抗できません! その際にライトに注意を引きつけ、ナイフを持ってることに気付かせなければベターです。  余談ですが、カランビットナイフで刺突を行う際は順手で持って小指で握りこみながら刃の背に当てた親指で刃先を押し込むと、小さな動作で深いところまで刺しやすいです。刺したあとは、親指に力を入れたままリングにかけた薬指と小指で引き抜くと刺突箇所を大きく引き裂けますよ!」  俺は抵抗する術を奪われた尾崎くんの全身を、ネイルガンで打ち込んだ4寸釘で台の上に固定した。 「脱線してすみません、話を戻します。では早速この研磨機で真っ平らになるまで研磨してみますね!」  俺は研磨機を動かした。たとえタングステンの鋼板であろうと真っ平らに研磨できる研磨機が、尾崎くんを研削砥石で『研磨』した。 「はい、このとおりです。素晴らしい馬力とトルクでしたね! それでは皆さま、ご視聴ありがとうございました。チャンネル登録と高評価、よろしくお願いしますね!」  俺はスマホの配信を切り、尾崎くんが机に遺した煙草に火をつけ吸ってみた。頭がクラクラするだけで、特に美味いとは思わなかった。  早く誰か来ないかな。何のために、俺がここまで派手にやったと思ってるんだ。もし自首なんてコトしたら、減刑されてコトが地味になっちゃうじゃないか。  俺は考えが甘かった。大きな勘違いをしてしまっていた。『俺だって頑張れば幸せになれるはず』、その勘違いは持った願望のリアリティの乏しさに気づけなかった思考の怠惰がもたらした。  俺は生まれの弱さも考えず、分不相応の幸せを望み続けてしまった。  その思考の怠惰のモラトリアム(猶予)も、35歳の中年になって失うものを失い尽くして終わりを告げた。 「本気で幸せになりたいのなら、現実と向き合ったうえで不幸を受け止めそして手の届く幸せを掴み取れ」  その教訓を反芻してると、パトカーのサイレンの音が迫ってきた。ほら、勤勉な脳は幸せを呼ぶんだ。  逮捕、取調、起訴に裁判そして獄中での生活。充実感できらきら輝く未来のビジョンに、俺の胸はときめいた。
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