メルイーシャの花

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 懐かしい名称を聞いたエミリオは苦笑して肩をすくめた。 「もう取り潰されてしまいましたし、あの人の名前もあまり聞かなくなりましたけどね」  それは、アーフェンレイトの元凶となった術師カーリーフと並ぶ、招来術師(しょうらいじゅつし)のもう一つの汚点だった。  工房の再編案を頑なに拒み、連行された先の聖都を自らの招来獣(しょうらいじゅう)に襲わせて逃亡したシウル・フィーリス。かつて『メルイーシャの宝石』とその名をクウェン中に謳われていただけに、彼の裏切りによって招来術(しょうらいじゅつ)工房の評判は地の底まで落ちることとなったのだ。 「あの人の最高傑作といわれた招来獣が、どうして救世主に(くみ)しているのかは分かりませんが。おそらくフェーダの司祭様方とは相容れない位置にいるはずです。なのでトビア様の心配は無用かと」  その言葉を聞いたトビアの反応は、安堵(あんど)とは程遠いものだった。  大きく顔を強ばらせると、握った右手を額に押し当てて黙りこむ。重い考え事をする時の彼の癖だ。 「……エミリオ」 「はい」 「あなた、ヒースの時点で気づいてましたね?」  低く言ったトビアは射抜くような視線をエミリオに向けた。 「なのに報告書には、シウル・フィーリスの名前なんて一度も出していなかった」  エミリオはいたずらが見つかった子どものように首をすくめると、困ったような笑みのままトビアに言った。 「すみません、不確実な情報ではご迷惑になるかと思ったので」  だから油断ならないのだ。トビアは喉元まで出かかった言葉をかろうじて飲みこんだ。  フィリエル工房の術師であれば、その経歴も為人(ひととなり)も頭に入っている。何が得意で、何を嫌悪し、どんな言葉で釣り何を対価に交渉すれば命懸けの任務にも向かわせられるか、十分に理解していた。  しかし他工房(よそ)から来た術師は情報が少ない。特にエミリオは、今回のように涼しい顔で手札を隠してくることがある。  その機転も実力も認めていただけに、彼を(ぎょ)しきれていなかった事実はトビアに重くのしかかった。 「……ガロア様もきっと、シウル・フィーリスに同じことを思ったのでしょうね」  ため息混じりに呟くと、エミリオはきょとんと首をかしげた。 「何か言われましたか、トビア様?」 「いいえ、何でもありません」  と顔を上げると、トビアは真っ直ぐに伸ばした人差し指をエミリオの喉元に突きつけた。息をのみ、大きくのけぞったエミリオに鋭い声で言う。 「次からは、気づいたことがあれば直ぐに報告を。あなた、やればできる子なんですからね」  脅すべきか褒めるべきかも決めかねて、トビアの言動は果てしなくちぐはぐになっていた。 「は、はぁ……」  エミリオはそれを指摘しようか迷ったものの、言ったら余計怒られそうだと思い、神妙な顔で頷くだけにとどめておいた。
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