犬、魔術師様の番犬になる

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○  それから十分後、呪符を持ってきたハスケル様は、布状のそれをおれの薬指に巻いたり、切り傷や火傷なんかに貼ってくれた。呪符を貼られると、なんだか心地いい。さすが、常に冷静なハスケル様の呪符だなあと、おれはぽーっとしたままよくわからない感想を抱く。  ハスケル様の綺麗な手が一つ一つ貼ってくれる呪符。すごく効果がありそうだし、実際ある。焼けつくような痛みが消え始めていた。  それから、おれは風呂に入った。三日ぶりの風呂。とても気持ちいい。ハスケル様は椅子に腰を下ろして足を組み、魔導書を読みながらたまにおれのほうを見て、ちゃんと風呂に入れているか確認している。  おれは、そこまで頼りない犬なんだろうか。  風呂の中からじーっとハスケル様を見ていると、ハスケル様はそれに気がついて、本を置いて立ち上がった。髪を掻き上げながらこっちに近づいてきて、ドレッシング・ガウンの袖を捲って、さらにカフリンクスも外し、シャツの袖を捲る。  すらりと長い腕が覗いた。手首と肘の中間の位置に、ぐるりと囲むように刺青が彫ってある。文字と、盲目の狼の図像。文字はラテン語、だろうか? おれには読めない。刺青をじっと見ていると、ハスケル様は「魔術言語だよ」と言った。 「VINCIT OMNIA VERITAS、『真理はすべてを支配する』と書かれている。文字も狼の図像も私のシンボルだ。こうすると護符になるからね」  そう言って、ハスケル様は泡立てたスポンジを、おれの腕に滑らせた。 「よく日焼けしている。犬らしい、いい腕だ」 「……ハスケル様の腕は、細くて白い。お美しいです」 「ありがとう。もう少し筋肉をつけなくちゃとは思うんだが。今度、トレーニングの仕方を教えてくれないか?」  真面目なのか、ふざけているのかわからない。おれは曖昧に笑って、 「ハスケル様は、今のままで完璧です」  そう言うと、この人は愉快そうに笑った。  おれが風呂からあがると、ハスケル様はふわっふわのバスタオルを手渡してくれた。王様とお妃様のところで使わせてくれていたバスタオルと同じふわふわ具合。お二人のことを思い出して少ししんみりしたおれに、ハスケル様は明るく、 「着替えたら、少し手伝ってほしいことがある。構わないかな?」 「手伝いですか? はい、なんでも」 「肉体労働なんだがね」  悪戯っぽく笑う。おれは畏まって、敬礼した。 「ハスケル様のお役に立てるなら、なんでもします! 拾って下さった御恩、体でお返しします」  体でね、と繰り返して、ハスケル様は背伸びした。おれの頭を撫でる。お妃様が撫でてくれたときのことを思い出し、うっとりするおれ。誰かに撫でてもらいたいとずっと思ってきたけれど、その「誰か」は、お妃様が崩御されてから現れないままだった。  でも、これからは違う。おれには撫でてくれる人がいる。  ミハエル・ハスケル様はおれのご主人様。おれは、ご主人様の犬だ。 「じゃあ、着替えたら廊下で待っていてくれ」  そう言ってバスルームから出て行く姿勢のいい背中を、おれはバスタオルにくるまったまま見送った。
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