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①集落の言い伝え
私は中国地方にある県に生まれ育った。
旧市街地から国鉄の鈍行で約50分、駅を降りてさらに歩いて30分の場所で幼少期を過ごした。
四方八方山に囲まれ、谷間には川が流れている。周りはほとんど田んぼで、わずかな平地に家を建てて集落の人は住んでいた。
戦国時代よりそれ以前の山城が山の中腹にその遺構が残っている。古くから米どころとして古い書物にこの地区一帯の名前が残っている。区のホームページによれば、8世紀末には存在していたらしい。〇〇郷と名前が記載されていて奈良の大仏を建てた聖武天皇の時代には水田として開墾されていたようだ。
その頃私は小学生だったかまだ保育園に通っていたかさだかではない。
仲の良い友だちの奈美ちゃんと近所を散策していた時のことである。
いつもと違う散歩コースを取っていて、初めて見る光景に出会った。
ため池だった。周りはコンクリートで固められていて、低いフェンスに囲まれていた。
しかし奈美ちゃんは知っていた。
『この池に昔、大きな魚がすんでいたらしいよ。』
『そんなわけないじゃん!』
と私は言わなかった。2歳年上の奈美ちゃんは私にとっては大事なお友達だった。その大事なお友達が言うのである。間違いであるはずはない。
『近所のおじさんが食べられたらしいよ。』
『そうなん!?』
ゾクゾクしながら、喜んでこの《事実》を聞いた。
奈美ちゃんのルーツはこの集落にある。
この集落は大海(おおあま)といった。
私はいわゆるヨソ者の子供で、両親の仕事の関係でこの地に引っ越してきた。
集落には先祖代々ご縁があったわけではない。
その反面、奈美ちゃんはお母さんもお祖母さんも昔からこの場所にいた。
(奈美ちゃん家は女系家族だった)
お祖母さんにいたっては、この集落の女帝だったことを後年知ることになった。夏になるといつも肌着一枚で、家のなかでぶらぶらしていたが、年に一度はお寺さんを呼んで、お経をあげてもらっていた。
そして集落の女性たちの一番前に坐っていた。私の母は参加したことはなかった。ヨソ者だったので檀家ではなかったからだ。
なので少なくとも集落のことを知っていた。
『今もその魚いるの?』
私はおそるおそる奈美ちゃんに聞いた。
『今はいないよ。』
こんな荒唐無稽な話、不思議な話をすっかり信じてしまった。
夕暮れの陽の光が私たちの顔をだいだい色に染めて、心地よい風も吹いてきた。
不思議な世界に入り込んだ気がして、食べられちゃったおじさんはかわいそうだと思ったが、胸が高鳴った。
※大人になった私の推察だが、何十年前か、それよりもっと前に、この土地に水害が起こったのではなかろうか。魚=鉄砲水で集落の男性が亡くなったと思われる
私が知っているかぎり、この地域一帯で、2度も大きな水害が発生した土地である。地名もそれを表している。
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