夏夜

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 ヒュルルルと花火があがる音だけで激昂しそうだったし、なんならカップルだらけの地上に落ちてから破裂すればいいのに……とさえ思っていた。だから私は当日「部屋へ閉じこもろう」と決めていたのだけど、今日の昼過ぎに、そのドアを母親が「カホ、ちょっと降りてきなさい」とバールのような言葉でこじ開けてきたのだ。  不満の色を隠さずに階段をドスドス勢いよく降りていったら、そこにいたのは都会に住んでいるはずの母の兄、すなわち伯父さんの家族三人だった。そういえば来るって言ってた気がするな……と薄っぺらい記憶のページをめくろうとした途端「ひさしぶりカホ、ゲームしようよ」とゲーム機片手にヒロムが飛びかかってくるようにして寄ってきたので、その瞬間、自動的に私はヒロムの世話係を仰せつかったというわけである。  昔から、ヒロムは私によくなついてくれた。伯父さんたちから「カホお姉ちゃんって呼びなさい」と何度言われても呼び捨てをやめなかったが、私はむしろそのほうが気楽だった。だから別にヒロムの相手をすることは苦ではなかったけど、宿題をやりはじめたら三分で音を上げてしまうのだけはさすがに参った。ちゃんとヒロムが宿題に取り組んでいるところを見せなければ、ヒロムの両親である伯父さんたちより、なぜかうちの母親のほうがうるさかったからだ。苦肉の策で、ヒロムが筆算のドリルをぐちゃぐちゃとこねくり回している隣で、私も古典のプリントとかを済まし顔でひねりつぶすようにしたら、なんとか私の真似をして大人しく解くようになってくれた。  夕飯は庭で焼肉をやることになった。あまりにも暑いからと物置から私がもっと子供の頃に買ったビニールプールを引っ張り出して、膨らませて水を張り、その中に大人たちが飲むビールの缶とか、ソフトドリンクなどを入れて冷やしていた。やがて飲み物類があらかた消えてからは、私が何食わぬ顔で足だけ水の中に入れて、キャンプ用の折りたたみ椅子の上で涼んでいたのだけど、ヒロムがそれを見逃すはずがなかった。結局私とヒロムだけが涼しい思いをしながら、足をビニールプールの中に沈めつつ、よく焼けた肉を胃の中に放り込む作業に勤しませてもらった。    そして今はヒロムと二人で、花火が夜空に咲くその瞬間を待っている。  彼氏に振られてからずっと、今年は絶対に観てたまるか、と思っていた。一人で観ていたって物悲しくなるだけだ。中途半端に本を読む私は、きっと一瞬だけピカッと光ってから尾を引いて消える花火に自分を重ね合わせてしまう。実際は大輪の花なんかじゃなく、線香花火にも満たないような輝きしか出せなかったのに。  私はこれから爆ぜる打上花火ほど、彼にとって特別な存在にはなれなかった。今年の花火を見たら、そのことをもう一度じっくり分からされる気がして辛かったのだ。  でも、結局は観ることになった。夕食の片付けが終わって、私だけシレッと家の中に引っ込もうと思ったら、ヒロムが「カホといっしょにみる」と言って譲らなかったからだ。  お姉ちゃんも忙しいんだからわがまま言うな……と伯父さんにはねつけられて、目に涙をためそうになっていたヒロムの表情を見た私は、気づいたら反射的に「いいよ。一緒に観よっか」と返していた。まあ部屋に戻ったってどうせ宿題なんかやらないだろうし、なんなら昼間で結構進んでいたし、それはヒロムが家に来たからこその結果だから、それくらいのことはしてあげて当然だと思う。  足元のビニールプールの水はだいぶ(ぬる)くなっていたが、それでも何もないよりはマシだった。つま先でぼんやり見えるキャラクターの輪郭をなぞっていたら、ヒロムは底に描かれたイラストではなくて、私の足をつついてきた。 「ちょっとヒロム、くすぐったい」 「じゃあもっとやってあげる。とう、とう」 「おっ? 私に勝とうなんて十年は早いんだよ。おりゃおりゃ」  ヒロムの小さい足の裏を狙って、爪先でこしょこしょとくすぐった。ケラケラと笑うヒロムの声が、夜だというのに鳴くのをやめない蝉の声と、私たちの足でかき回される水の音に混ざりあった。飛沫がきらきらと、花火よりも先に私たちの視線の先を打ち上がっていく。  するとポケットの中でスマートフォンが鳴った。いつも決まった時間に飛んでくるアプリの通知で、それは今日の打上開始の時間に合致する。どう頑張っても届かないところに足をよけながら、私は言った。 「ほら、ヒロム。花火どーんってくるよ。どーんって」 「やった。みる、みる」  さっきまでバタバタと足を動かしていたヒロムが、すんっと急に姿勢を正すのが面白かった。「そんなにきっちりしなくたっていいのに」と笑って言ったら、ヒロムは「ううん」と首を横に振った。 「カホといっしょにみるから、ちゃんとみるの」  その言葉を耳にして、不覚にも、胸がぎゅっとつかまれたみたいな感覚を味わった。  久々に。  もっと具体的に言えば、元彼に告白されたとき以来の感覚だった。小学校低学年の従弟が、私にどうしてそんな所業ができるのか。もしかすると、私のほうがヒロムよりもずっと子供なのかもしれない。
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