10人が本棚に入れています
本棚に追加
「春の宮さまは当月も“抑制薬”をご所望です」
官吏が畏まって手を合わせ跪き申し述べる。
「……姫の言う通りにしてやってくれ」
御簾の奥から答えが返るが、しかし、と官吏は反論した。
「抑制薬は本来大病に瀕した際にのみ使用を限定するもの。薬材自体が非常に貴重でこうも毎度使用されては国庫を逼迫します。――そも理由が不敬なれば幾ら四大貴族の息女と言えども許可されるのはいかがなものかと」
「先一年俺の衣は新調しなくていい。金糸の刺繍などの方が余程無駄だ」
「恐れながら申し上げます。一人の姫の“特別扱い”は今上のみならず先の後宮の秩序をも乱します。賢明なるご判断を」
青龍帝、とわざわざ続けられ僅かその眉間に皺が寄った後、緩めると同時にハァと息を吐く。
「――分かった。話しにいく」
梓ノ国では即位した帝は四人の妃を迎える。それぞれ春夏秋冬を称した宮に住まわせ、序列もその順とした。妃は四大貴族の血筋のみから選ばれ、帝が指定する宮の順がその生家の官位任命にも反映され余分の政争を防いでいた。要は寵愛による代理政争である。
この春夏秋冬の宮の指名は入内後ひと月の猶予を置く。
その間、七日ずつそれぞれの姫が帝と閨を共にした。
姫は――御意のままにする、気分が優れないのでお会いにはなれない――とのことです。
取次の女房はおろおろとそう言うが帝は押し退ける。
「未だ何も言っていないだろ」
「桃」
「……幼名で呼ばないで」
呼び掛けると御簾の内から冷ややかな声が返ってくる。
「抑制薬を飲まないと、辛いか」
「地獄よ」
その声は感情を灯さなかった。
「ひと月に七日、気が狂う程発情する。塞いで貰う以外何も考えられなくなる」
「……今も。平常時でさえ貴方の声が耳を通る度子宮が疼くの。……最悪」
「それは……感情を無視する程のものなのか」
「感情があると思っていたなら申し訳ないわ。貴方じゃなくて帝の“器”を求めるただの人形に作り替えられているの、私たちは。ああ、孕んでいる間だけは人と変わらず安息を得られるようだけど」
薄らと可笑しそうに口端を上げているのだろうきっと御簾の内、扇の奥で。
皮肉めいたその声調子を聞いて帝は眉を顰めることもせず、ただ一寸懐かしむように目を細めた。
「貴方を拒んだ私をどうして“春”に選んだの。昔の『主』への義理立て? いいえ口止めね。心配しなくていいわ。乳母の子で従者同然の幼馴染なんていなかった。不都合な事実はもう抹消されている。まさか落胤とはいえ随分不遇な扱いを受けてきたものだけど、」
くすりと笑う。
「かつては目通りも叶わなかった最高位の姫四人が今じゃ貴方に抱かれることだけが生きがいの人形。さぞ気分がいいでしょうね……前東宮が突如崩御されて」
「もう止めてくれ――そうじゃないと分かるだろ、お前には」
「“心読み”の能力ならもうずっと閉じてるわ。分かっているでしょ?」
抑揚の失せた声が響く。
「近づきなさい」
言われるままに帝は御簾の傍に腰を下ろす、と、揃えた白い指先が端に出て捲りあげた。
幼い頃から誰もがため息を漏らした美貌は乙女となって可憐さ極まり、絶世と言うに相応しかった。随分と日を浴びていないのか肌は少し青白かったが、その病的な翳りすら儚さに映る。紅を乗せた唇が小さく開いて囁いた。
「口付けて」
その言の葉の先に吸い寄せられるように唇が重なった。桃色の蕾。その上下が順に食まれる。繊細な花弁を挟むようにゆっくりと丁寧に。口角を変えて幾度も。次第に間隔は狭まって、やがて舌先がこじ開けるように滑り込んだ。びくりと宮の体が震えて紺青の衣を掴む。しかし離されることはなくその上顎歯列が味わうようになぞられていく。その間絶えずぴくぴくと細い肩は震え指は力いっぱいに握って白んでいた。
「ふ……は、あっ……」
言葉を発そうと舌を動かせばその狭い咥内で擦れ合ってしまいそうで宮はただジッと動かず息を漏らすことしかできない。しかし。避けた事を避けられず、その艶いた感触が過敏な舌を捉えた。
「――――ッ」
蕩けた半眼が見開き腰から跳ねた後、指先は力を失う。弛緩した体がくたりと倒れ込むのを骨張った手が支えた。
「春の宮?」
驚いて心配そうに帝は顔を覗く。頬は上気し瞳は潤んでハァハァと疾い呼吸に合わせて胸が上下する。乱れた黒髪が散らばる。知れずこくりと喉仏が動くのに合わせて二人の唇を繋いだ銀糸が垂れて落ちた。
「……葵……、葵、苦しいの……たすけて」
「――春宮」
抱きすくめた。黒々して艶やかな髪筋から覗く白い耳朶に口を寄せ、春の宮、と熱を帯びた声で呼ばう。
「春の宮が望んでくれるなら他の宮にはもう行かない」
直後預けられていた体は強ばって、か弱い力いっぱいに上体が押し退けられた。――帰って…… と震えた声が続く。
「もう要らない」
最初のコメントを投稿しよう!