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1. Aロマンティック・ラブ
傷つきやすい年頃というのがあるんだろうか。十代の終わりを迎えた僕の周りの女の子は、さまざまな理由で傷ついていた。
最初は、クラスメイトからの気楽な相談だった。男の側から見てどうなのか、みたいな話だった気がする。それをきっかけに、なぜか僕の元に、女の子からの相談が舞い込むようになった。
僕の自宅の裏側はすぐ海で、それを話すと女の子は海に行きたがった。打ち明けられた辛い気持ちは共感できるものばかりだったし、女の子の涙は胸にくる。
夕暮れの浜辺で黙って話を聞いている僕の肩にもたれかかってきたり、涙でいっぱいの瞳で見つめてきたり、女の子はみんな魅力的だった。
こちらからすると悩みを僕に吐露する、等しく愛しい彼女たちだったのだが、それがいけなかったらしい。高二の終わり頃には、僕は女子の間で、すっかり危険人物として有名になっていた。
「エンドウみたいなやつ、アロマンティックって言うらしいよ」
雑談で満たされている教室で、クラスメイトの川村花火が僕の机に手をついて言った。
「何それ、なんか匂いがするとかそういうやつ?」
椅子を反対から座って、僕の前でガタガタとリズムをとっているのは軽音部員の斜坂ユーキだ。ワイヤレスイヤホンを片耳だけに入れて、常に音楽を聞きながら、もう片方の耳で僕らに応対している。
「匂い関係ないんじゃないのかな。ロマンティックの頭に、アがついてる感じ」
花火が言った聞き慣れない言葉を、スマホで調べてみる。
「他人に恋愛感情を感じない人……、って失礼な」
「失礼じゃないでしょうよ。あんなに女子たぶらかして平気なのは、恋愛感情持ってないからでしょ。それにここ」
花火がスマホの画面を見せてくる。
『アセクシャルと間違いやすいですが、こちらは恋愛感情も、性的感情も持たない事を言います。アロマンティックは、恋愛感情は持ちませんが、性的感情は持つ事があります』
僕に続いて花火のスマホを覗き込んだユーキが、憐れむようにこちらを見てくる。
「程々にしろよ」
「そんな、……何もしてない、とは言わないけど、お互い困るような事はしてないですよ、僕は」
「それが本当みたいだから、余計厄介なんだよね」
女の子側の言い分を他にもいろいろ聞いているらしく、花火は今や僕よりも、僕周りの状況を把握している存在だった。
「なんかこういう説があるのは感心したけど、……そうなのかな、自分」
「でも、私自身もコレなのかな、って思ったんだよね」
花火が頬に手を当てる。
「それが証拠に、これだけ親身になってるのに、エンドウにひっかからないじゃん」
「なるほど」
ユーキが妙に感心する。
親身になっている、というところにはちょっと引っかかるが、本人がそう言うのならそうなんだろう。
「でも、単に僕がカワムラの好みじゃないだけで、まだ運命の人に出会ってないだけなのかも知れないし」
僕の言葉に、またユーキがうんうん、と頷く。
「おまえ、どっちの味方なんだよ」
「どっちも納得できる」
「まあお互い、真実の愛に出会えると良いですなぁ」
そう言い捨てて、花火は僕の席を離れていく。
いつも辛辣な花火にしては、ずいぶん好意的な解釈を持ってきたもんだ、と僕はシャーペンを回す。
『好きじゃないなら、思わせぶりな事、しないでよ』
最初に花火から投げつけられた言葉だ。彼女が友だちから僕についての相談を受けて、とんでもない野郎だと説教しに来たのだ。その時は、僕はその子が好きなんだけどな、と思った気がする。
でも、彼女だけが自分にとっての特別にはならない。他の子からも、話を聞いてほしいと言われるので。
そういうのを世間では、女たらしとか遊び人とかいうらしい。
そんなゲス野郎相手に、時々独占欲バリバリになる子がいて、首輪みたいにネックチェーンを付けられたりした。だいたいそういうパターンの時は、花火のような友だちに、彼女の方は本気なのに!とか、気持ちを弄ぶな!とか怒鳴り込まれる。
面倒だから言いなりになっていたけど、そういうのが本気の恋愛感情だというなら、確かに、僕には持てないものなのかも知れなかった。
真実の愛とやらに出会ったら、その人に独占されたいと僕も思うのだろうか。
……まさかね。
ユーキや花火とは三年になってクラスが分かれてしまい、元々向こうから辛うじて話しかけてくるような間柄の花火はもちろん、ユーキもバンド活動が忙しくなって、同じクラスだった頃のように話すことはなくなってしまった。
僕はといえば、いっその事彼氏がいる子の浮気相手なら、向こうも遊びだから構わないだろうと開き直った末、彼氏にバレて、ぶん殴られたりしていた。
鏡で顔の傷を確認して、これはさすがにひどい、と思った。僕は、何をやっているんだ。
殴られたのは痛かったが、このままではいけないと、おかげで立ち止まることができた。
頭を冷やした僕が、手っ取り早くこの惨状をリセットする方法として思いついたのは、どこでもいいから遠くに進学する事だった。そして誰も知らない新天地で真面目に大学デビューするのだ。
ところが志望校を具体的に定めると、如何に自分の学力が足りないかはっきりしてしまった。模試の判定を真摯に受け止めて、一生懸命勉強しよう、と心に誓う。
夏休みに入ってからはマジで必死になった。朝から予備校の夏期講習に行き、空いた時間は自習室で過去問を解きまくる。夕方家に戻って夜自宅で勉強と、自分でも信じられないくらい、ひたすら勉強する毎日が続いた。場所を変えているのは、その方が集中力が保てるからだ。女の子からの誘いも受験を理由に断りまくった。他に何も考えないで勉強だけする日々は、慣れてくるとこれはこれで、楽な気さえしていた。
その日は自習室のエアコンが故障していて、最近学校の近くに完成したという公共施設へむかう事にしたのだった。バイト収入がない受験生にコーヒーチェーン店などで優雅に勉強する余裕はなく、タダで使える施設はそれだけでありがたい。
到着した建物は固い公共施設のイメージとはかけ離れていて、内装は木材と金属を組み合わせたデザインの小洒落た作りだった。天窓から日光が差し込むロビーを抜けると、図書室の一角に自習コーナーがある。受験生は利用を優遇されていて、無料な上にいくら居ても追い出されないらしい。これからもちょくちょく利用させてもらおう、と早速今日のノルマに取り掛かる。
「チャラ男くん、もしかして受験すんの?専門行くのかと思った」
一段落ついて数学の問題集を片付けていると、偶然居合わせたらしいクラスメイトの山下が小声で絡んできた。
「どこ受けんの?やっぱ東京?」
ちょっと鬱陶しいので、適当に交わす。
「どうかなー。まあ私文だから、そうなるかな」
「数学やってるから国立組かと思ったわ」
「まさか」
僕の通っている県立高校は理系と文系でクラス編成が分かれていて、僕は文系のクラスに属していた。社会が壊滅的に苦手だったので、それよりはマシな数学を受験科目として選択しただけだったのだが、そんな奴はごく稀で、文系なのに理系科目も勉強しているのは国公立大学の志望者くらいのものだった。
「数学いけるなら国立受けりゃいいじゃん」
「簡単に言うな。そんな頭はない」
「あっ、良くないねそういう私立舐めた発言。できる奴ら同士で勝負すんだよ?」
「そりゃそうだけど、五教科七科目プラス二次で、私立も受けるとか超人だろもう。無理無理」
「誰が超人だって?」
急に聞き覚えのある声に遮られて、振り向くと川村花火が立っていた。この暑いのに真面目にも制服を着ている。
「ども」
山下が落ち着きなく花火に会釈する。同じ文系だから顔は知っているが、多分話はした事がないのだろう。
「国公立受験する奴ってすげーな、って言ってたの」
「確かに、科目数多いし、ウチの学校じゃかなり成績上位じゃないと難しいよね」
花火が立ったまま頬に手を当てる。いつもの、話す時の癖だ。山下は居心地が悪そうに辺りを見回していたが、急に元気を取り戻して会話に参加してきた。
「アイツとかなら、受かるんじゃね」
山下が顔を動かして、向こう側の机を示す。
「あー、四葉くんか」
花火が納得したように頷く。
「誰?」
「おまえ、四葉知らないの?」
「知らない」
「女子じゃないと興味ないかー」
花火は相変わらずの毒舌だ。気の毒に思ったのか、山下が解説してくれる。
「四葉翠くん、ずーっと成績学年一桁で、理系なのに文芸部で、小説書いてすごい賞とった人。なぜウチの学校なんかにいるのかまるで謎」
「へぇ」
「四葉くんなら、推薦でも行けるんじゃない、どっかいい国公立」
「へぇー」
僕が生返事をしていると、山下がさらにどうでもいい事を加えた。
「あと、男のくせに顔がカワイイ」
「確かに」
花火が笑って同意する。
「そうかあ?」
二人の言葉に、僕は勉強する時だけ掛ける眼鏡を取り出して、椅子から身を乗り出す。
小柄な黒髪の男子生徒が机に向かっているのが見える。全然知らない奴だった。母校の生徒数は多く、特に理系クラスの人間はほとんど接点がないので、知らないのも当然だったのだが、四葉翠に関して言えば、無知な自分が特殊だったようだ。
「将来、小説家になったりするんかな」
「あの風貌だったら、余計人気でそう」
三人で無責任な軽口を叩く。自分の学校に将来有望そうな奴がいるというのは、何となく楽しい。あの人同窓生なんですよ、とかいう話題で、将来雑談がいい感じで埋められるかも知れない、くらいのものではあるけれど。
「人の事はともかく、エンドウ受験するんだ」
今更のように花火が、置いてあった参考書を見る。
「まあ、それが良いかもね」
どこまで見通したのかはわからないが、花火は納得したようだった。
「頑張って。あっ、それから山下くん」
急に花火から呼ばれて、山下が姿勢を正す。
「はっ、はい」
「今どき、『男のくせに』はないわ。気をつけた方がいいと思うよ、そういうの」
自分も同意していたくせに、そう言い残して花火は颯爽と去っていく。残念ながら言われた山下はちっとも意に介さず、名前を覚えられていた事ばかりを喜んでいた。
日中の勉強ノルマを片付けて家に戻ると、ここのところ僕の部屋に入り浸っている八木沼シュウが、古びた畳に寝そべって勉強していた。それもキャミソール姿で。
「シュウさん、彼氏いる人なんですから、いい加減ウチにくるの止めてもらえます?あと、そのカッコ」
「いやここ、風通るし、勉強捗るんだわ」
彼女こそが僕が殴られる原因になった、彼氏アリの女の子だ。他の女の子とは受験モードに入ってから、全く会っていない。しかしシュウだけは鍵の在り処を嗅ぎつけて、部屋に上がり込んで来る。まるで、うっかり餌を上げてしまった野良猫みたいだった。鍵の隠し場所を変えようかとも思ったが、そこまで邪険にする事もないかと、そのままにしていた。
「またぶん殴られるの勘弁して欲しいんだけど」
「大丈夫大丈夫。忙しくてそれどころじゃないから」
軽口を叩きながらも、シュウはシャーペンを走らせるのを止めない。
そう、受験生にとって、夏休みはまさに天王山。今は彼女がタラシと浮気してるとか気にしてる場合じゃないのだ。
自分の人生がかかっているのだから。
じゃあ僕が殴られたのはなんなんだ、とは思うけれど。
「シュウさんも新しい図書館行きなよ。今日初めて行ったけど、キレイだし明るいしいいよあそこ。長くいても追い出されないし」
「ダメだよ、どうせエアコンガンガンなんでしょ?それに、服脱げないじゃん。この、リラックスした感じじゃないと集中できないのよ私」
「ええ……?試験当日困らないのそれ……」
「ああ、確かに。共通テスト二日間フルであるもんね。近くなったら慣らさないといけないかも」
「二日間フル?」
シュウの通っている高校の方が偏差値はかなり上なのだが、文系と聞いていたので、その答えは意外だった。僕たち私立組は共通テストを利用する場合、私立の一般入試と被った科目だけを選択するのが受験のセオリーだったからだ。
「てことは国立組なの?シュウさんS高だけどそんなだから、こっちの仲間なのかと思ってた」
「そんなって、どんなよ。いや、私の場合、得意科目がないだけ。だいたい、受かるかどうかわかんないじゃん」
「あの科目数勉強するってだけで尊敬するよ」
「わーい、もっと褒めて褒めてー」
シャーペンを投げ捨てて、シュウが後ろからしなだれかかってくる。
「だからー、そういうところだって!そんなカッコですり寄って来ても、何もしませんよ」
「いいの、こうしてるだけで、落ち着くの」
「彼氏にすりゃいいじゃん」
「だから、今それどころじゃないんだって」
受験生なのは僕も同じなのだが。まあ、シュウちゃんまあまあかわいいし、胸もあるからいっか。
こんな風だから、野郎はぶん殴りたくなるだろうし、同じ空気を吸ったら妊娠するとばかりに女子が遠巻きにするのもしかたがない。心を入れ替えたつもりでも、僕は根本的に、女たらしで遊び人で、どうしようもない奴のままだった。
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