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おじさんとブリーフ♡
正直、もう恋愛なんて自分には関係ないと思っていた。
恋愛に興味がないってわけじゃない。ひとりの部屋はどうしても寂しいし、誰か一緒にいてくれたら、とおもう。それは友だちでもかまわないのだけど。けれど友だちにはふれられない。
ひととふれあう。
子どもの頃はあたりまえに友だちとじゃれあって転げまわって、兄や姉にもくっついて、両親にもあたりまえみたいに抱っこされて。それが人生ずっと続くのではないと気づいたのは思春期のころだった。
おとなになってしまえば、許されないと誰かにふれることすら容易にはできない。
若いころは自分のセクシャリティとか恋愛感情とか、そういうものを真正面から捉えることがないまま、人恋しくて恋人をつくった。
だれかにふれることができる。だれかにふれてもらえる。
恋人はそれを許された存在で、だけど、そんなふうにさみしさを埋めるように作った恋人とは長く続かず、気がつけば恋人がいる期間がとぎれがちになり、いつしかその場限りや短い関係になり、そのうちにそうやってひとにふれることもなくなった。
仕方がない。自分のこころと深く向き合わなかったからだと気づいたときにはもう遅くて、そのままずいぶんと長いこと一人で過ごしてきた。
だからといって、恋人がほしいという願望がなくなったわけじゃない。
三十七歳。自分の感覚的にはまだ若いけれども、四十歳は目前だ。三十代前半くらいまではなんとなく、自分も『恋愛対象』のうちに入っていたんじゃないかとおもう。
春、社内で、営業先で出会う初々しい新入社員と出会ったとき。定番の自己紹介でなんとなく相手を探るような、くすぐったい感覚がするときがあって。正面から視線が会えばはにかんだように笑顔を向けられる。
そこから恋愛に発展することはなかったけれど、それでも好意的を向ける対象になりえるのだと、それだけは確認できた。
けれどもそれは歳を追うごとに愛想笑いになり、最近ではそうなんですね、というあいづちになり、ついにそういう対象にもされない年齢になったのだとさみしく感じていた。ついに、じぶんも『おじさん』になったんだと、自覚せずにはいられない。
そんな時に現れたのが高見だった。
暑さでへとへとになって、自宅に戻るまでがまんできずに飛び込んだ居酒屋で、キンキンに冷えたビールをあおった。冷たいビールが食道をたどり、からだを内側から冷やしても、まだ酷暑の熱がこもっているようで、枝豆と冷奴をつまむ。
食欲がわかず、けれども何か食べなくちゃ後がつらいし……、なんて若いときにはできなかった自分のからだへの配慮なんかして、とりあえずあっさりめの焼き鳥を追加する。暑さで疲れたからだによく冷えたビールはよく効いて、知らずに全身が酔いに支配されたころ。
「おにーさん、ひとりで飲んでるの? おれもなんだけど、話し相手欲しくてさ、一緒していい?」
にっこりとひとなつこい、でもどこか人が悪い笑みを浮かべてカウンター席の隣に男が座った。彼は年下で、ちょっと軽くていい加減で、調子が良くて。本当ならすこし苦手なのに、酔っ払った俺は警戒心なんてなくして、その場限りの会話を楽しんだ。
会社のこと、結婚した友だちのこと、じぶんのこと。何も知らない人になら、すこしの不安や不満も言えたし、彼から返ってくる返答は思いもよらないものばかりで、俺も若い時にそう思えればいまごろ違う人生だったのかもしれないなんて考えた。
そうしてつかのまの時を過ごして、そろそろ帰ろうかというあたりから、なんとなく風向きが変わった。いつのまにか高見に口説かれているみたいになって、持ち上げられてほめられて。正直、分類『おじさん』になってしまったんだと思っていた俺は悪い気はしない。
けれど、いやそれ以前にここは居酒屋で、そういう同性同士のお店じゃないし。ていうかやっぱり俺はおじさんだし。自意識過剰もいいかげんにしろよ、と自分をたしなめてみたりして。
やけに親身で親しげな高見に、キミとの接点なんて何もないでしょ?ってかわしてみせるのに、ふとにぎられた手にドキドキした。久々にふれた人の手は、酒のせいかあたたかくて、背の高い高見らしく、長い指をしていた。黙り込んだ俺を「酔った?」と手を引いて店を出る。
絡められたゆび。
それだけでその気になるなんてどうかしていると思ったけれど、でも。
今を逃したら、次にひとにふれられるのはいつだろう。もしかしたら二度とないのかもしれない。そう思ったら無視できなくなった。
「ねぇ、また一緒に飲みましょう」
そう言って俺のスマホを取り出し、俺の手を使って勝手にロックを解除するのをただぼうっと見ていた。
後から確認してみれば、ラインの連絡先が追加されて、勝手に取り付けた約束の日程が入っていた。そんなふうにして下心をのぞかせる高見と出会って飲むこと数回。
だんだんと高見は馴れ馴れしくなるし、毎回手はにぎられるし、こっそり肩も抱かれるし。先週なんてついにキスされた。
あの日、酒を飲んだわかれ際、駅の自動販売機のかげに連れ込まれてキスされて。うそだろ?!っておもうのに拒否すらできずに受けいれていた。それどころか巧みな高見の舌に翻弄されて、股間が熱をもつ。
こんなオッサンに冗談だろ?遊ばれているっておもうけど、それと同時にひどく浮かれている自分を自覚する。『すき』なんてことばがなくてもいい。ただふれてくれたら。
ざわざわする胸の感覚に、自分まで高見と同じに若返ったような気すらする。
次は……、ね。覚悟しといて。
耳元にささやかれて、腰がくだける。ちどり足の酔っぱらいよろしく高見に支えられ電車に乗った。そのまま自分の駅で降りていく高見と、明るい電車のあかりの下でバイバイした。
次は。
次はどうなるんだろう。それを考えたら、どきどきして眠れなくて、久々に妄想と期待で勃って抜いた。まだそういうふうに勃つことがあるんだ、ってそんなことにおどろくくらいに久々の感覚だった。
『週末にまた』
ラインに届いたメッセージ。
あの日にした週末の約束は、明日に迫っていた。
迷って、迷って、それでもあわてて仕事帰りに手近なアパレルショップに飛び込んだ。いつも俺の格好はワイシャツにスーツ。すこしくたびれているかもしれないが、これなら恥ずかしくはないとおもう。
けれど。
ふと、そういうことになったら、と具体的に考えた時、困ったぞと思った。
過去に関係のあった恋人はみんな女性で、俺がリードすればよかった。服だって自分のタイミングで脱げたし、そもそもほとんどがちゃんと行為の前にシャワーを浴びていた。下着も気を使っていなかったわけではないけれど、失敗したなとおもう時は自分でうまくごまかせた。
けれども、高見相手にしたらどうなるんだろう。
キスですら一方的で、じぶんからつながれた手をふりほどくことすらできないのに、高見相手にリードするなんてできる気がしない。きっとされるがままに流されてしまうんじゃないかとおもう。きっと、下着だってじぶんのタイミングで脱ぐのはむずかしい。
……そう、懸念事項は俺の愛用する下着にあった。
俺は着心地重視で、今どき化石だと言われるかもしれないが、下着はグンゼの白ブリーフと決めている。あのやわらかな生地、どこにも不快を与えない安心感のある着心地。あれは本当に唯一無二だとおもう。
……おもうのだけれど。
だけれどそのこだわりを今、貫きとおす勇気はなかった。
高見はいわゆる今どきの子で、正直全身が洗練されてかっこいい。メガネをしていたから、目が悪いのかと聞いたら、伊達メガネだよって笑われた。髪色だって、落ち着いた色をしているけれど、光に透けるとなんだか妙に印象的で、不思議な色だねって言ったら、毎月美容院で色を入れているんだそうだ。
そこまで考えて、やっぱりおかしいっておもう。高見みたいな子が俺を相手にしようとする意味がわからない。
ぐるりと店の中を見回りながら、やっぱり明日は断ってしまおうかと迷う。
だけれど、すぐにもうひとりの俺が反論した。最後のチャンスだろ。遊ばれてもいいだろ、って。俺は高見に惚れているのではないとおもう。そもそも、今まで恋愛感情というものを強く感じたことがない。だったらいいだろう。一度きり、ぬくもりと快感を共有するだけだ。失うものなんて何もない。
自分に言い聞かせながら、下着コーナーの前にたった。
売り場には色とりどりのパンツが並んでいる。俺の覚えのある下着コーナーといえば、チェックやストライプのトランクスがずらりと並んでいたのだけれど。今ここにはトランクス、というもの自体が、あのころのブリーフの位置に追いやられている。その代わりに売り場のほとんどをしめているのは、ボクサーブリーフ。
確かに、名前はブリーフだけれども。それは俺の知っているブリーフとはまったく違っている。
マネキンに恥ずかしげもなく履かせられたボクサーブリーフは、ぴったりと尻と股間を包んで、そのふくらみを強調させているようにおもう。
こんなことおもうなんておかしいのかもしれないけれど、やけに恥ずかしくて視線をきょろきょろと泳がせる。それから高見もこういうのを履いているんだろうかと考えた。きっと、履いているんだろう。細身に見える高見のTシャツのしたのからだが意外と筋肉質に整えられているのを知っている。やわらかな綿生地にゆるやかに筋肉の形が浮かんでいるのを、何度かっこいいと思ってみただろう。
きっと、高見だったら、こういうパンツでもかっこいいんだろうな。思わず高見に似合いそうな下着を物色して、そうじゃないとおもいだした。
今はとりあえず、俺の下着を買わなきゃいけないんだった。
叫んで逃げ出したくなるのをおさえて、俺はもう一度下着売り場に目をむけるのだった。
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