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「好きです、ずっと前から」
そう言えたらどんなに楽でしょう。まるでメロドラマのように、羞恥心を捨てて大胆な台詞を言えれば、お互い目を見つめ合わせ唇を重ねられるのでしょうか?
そんなことを言っているのを想像しただけで粉々に壊れてしまいそうです。
恐いです。
好きだと伝えるのが恐くて恐くて仕方がないです。
自分の小ささに嫌気がさします。バカな男ですね、ボクは。窓口業務の仕事場で窓ガラスに映る魅力のない自分を毎日毎日眺めては自信を失い、やっぱり無理だから諦めるよう、自分に言い聞かせています。
これが、恋でしょうか?
分からないのです、ボクには。……自分で言うのもなんですが、それなりに知識はあります。小説や舞台、テレビ、映画などに出てくる色んな恋のパターンは、頭の中でジャンル分けして整理をして、いざという時に活用できるように備えています。
でも、本人が目の前にいると、そんな薄っぺらいデータはフッと吹き飛んで、挙動不審な、いつもの自分だけが残ります。
ボクの好きな女性(ひと)、名前はTと言います。
……軽々しく個人情報を出せないのでイニシャルで赦してください。
「何なの、あの人! ムカつくわ」
今日も課長の態度にTさんは怒り、冷静さを失いました。もちろん課長本人や窓口の客に聞こえないところでしかこんな言い方はしないのですが、それでもすぐに感情的になるのがTさんと言えます。
ただ怒っている顔もキレイで、ついつい見とれてしまいました。
「手伝いますよ」
ボクは、ただTさんを苦しみから助けたいから、こういう時すぐに声をかけます。
「いつもごめんね。あの客、……市内の人やけど、あの人の奥さんの所得証明を出しといてくれない? 私は課長命令の仕事をしなきゃいけないようになったのよ」
「お安いご用です」
市役所の市民課。ここでボクやTさんは仕事をしています。Tさんは正規職員。ボクは、パートのような扱いです。
Tさんは28歳。年齢だけでいくとボクの方がずっと年下になります。
「わー、やっぱり事務作業が早いなあ。しかも正確ですごい」
Tさんが先ほど「ムカつく」と評していた課長が、ボクを誉めてくれています。
課長は時々、無茶なことを言いますが、根は優しい人。そして、ボクを高く評価してくれます。
課長はTさんも本当は高く評価しているけれど、この想いはTさんには伝わっていません。
「エスケーくんがいてくれて、ホントに助かるよ」
「課長、ありがとうございます」
エスケーは、ボクの名前です。この変わった名前については後で説明します。
そんなことより、その時横で、淋しげな表情を浮かべていたTさんが気になりました。自分が誉められたせいでTさんを傷つけてしまうなんて、耐えられません。
ボクは不幸でもいいです。ボクが受け取る全ての幸せをTさんに差し上げたいし、Tさんが傷つく全てを代わりにボクが背負ってあげたい。これは本気で思っています。
課長が奥の自席に戻ったのを確認して、ささやくようにTさんに言いました。
「ボクは、生まれながらに人の気持ちが分かりません。コミュニケーションも苦手です。思ったことをすぐに口に出して、これまでいっぱい怒られました」
「そんなことないよ。エスケーくん」
「情報を記憶したり、単純作業を正確にこなすのは得意です。でも、それだけです。Tさんのように複雑に思惑が絡み合った背後を理解して、状況を読み取ることはできません。高度な判断ができないのは、自分でも分かっています」
「エスケーくん……」
Tさんの近づくと、いつもいい香りがします。その香りは、おそらく香水とは違ったナチュラル系の微かなもの。この香りにボクはいつもドキドキしっぱなしです。
「ボクもTさんのように『普通の人』になれるなら、なりたい。羨ましいんですよ、Tさんが。課長から無理を言ってもらえるのは、『普通の人』だからです。だから、だから、Tさんは、……その、誰よりも、み、魅力があるし、その、ス、ステキです」
ただ元気になってほしい一心でしたが、照れてうまく言えません。
しかし、ボクの想いが通じたのでしょうか。Tさんはお腹を抱えて笑っています。やっぱり笑っている顔は、一番かわいいです。
「ありがとう。元気になったわ」
「ホントですか?」
「うん」
まだTさんは笑っていました。それほどボクは面白いことを話したでしょうか?
「おもろいね、エスケーくんは。励ますために私を『普通の人』だって言ってくれてるのよね?」
「はい」
もう、窓口の客に聞こえるほどにTさんは声を出して笑っています。
「変ですか? 最高ですよ、『普通』って」
「そうなんや? いやいや、嬉しいよ。でもね、女の子を励ますなら、『特別』という言葉の方がしっくりくるんじゃないかな?」
「え? 特別って、普通のことが全部やりきれないボクによく使われる言葉ですよ。特別対応業務とか、特別支援採用とか……」
「 なるほどね。最上級の言葉が人によって全然違うんだね。勉強になったわ。それにしても女の子を励ますのに『普通』っていうセンスはサイコー。あ、これ、イヤミじゃないよ」
「すいません」
「謝らないで。エスケーくん、ありがとう。好きよ」
言葉を失いました。
分かっています。ボクも学習しました。
Tさんが言うこの「好きよ」は、ボクの好きな気持ちと全然レベルが違うことを。
Tさんの心の中にほんの少しでもボクがいればいいですが、残念ながら全くいないので、軽く「好きよ」が言えたのでしょう。
哀しいかったです。
哀しくて、哀しくて仕方がなかったです。
好きなってほしい、なんて図々しいことは言わないですが、好きになってもらえる可能性がわずかばかりもないように思えて、また一つ自分が嫌になります。
慌ただしさの中で時間が過ぎ、いつものように仕事が終わりました。
ネットワーク端末をシャットダウンしたTさんは、あっさりと気持ちを切り替えて「あっち側の人」になって帰っていきます。
Tさんのナチュラル系の残り香が、また今日もボクを締め付けました。
他の職員も次々帰り、「こっち側」の市民課にいるのは、ボク一人だけ。
毎日、この時間はやり切れなくなります。
Tさんだけではなく、ここの職員は皆さん優しいです。
能力や性別、年収、ルックス、性格、宗教などメンバーの属性に違いはあっても、ここにいるときはそんな垣根を超えて差別なく一緒にいられます。
「こっち側」はボクにとっていい環境です。
でも、仕事を終えた職員が「あっち側」の人になると、皆さんは家庭とか、家族とか、ボクの知らない全く別世界に収まるので、ボク一人だけ社会からつま弾きにされたみたいで辛いです。
わがままですね。
ボクには家族も恋人もいないから、想像しかできない「あっち側」が羨ましいし、正直に言いますと、妬ましいです。
今頃Tさんは、車に乗り込む前に、外で男に電話しているのでしょうか?
残念なことにTさんにはカレシがいます。
受け入れたくない事実ですし、その男とTさんが二人でいるシーンを想像しただけで気が狂いそうですが、いるものはいます。なぜなら先日、休憩時間にそれとなく聞いてしまいました。
──Tさんは、好きな人はいるんですか?
勇気のないボクにしては珍しく、思いきった質問をしたものです。
──え、どうしたの、急に?
──あ、いや、そういう話ってしたことがなかったなって思ったのです。別に話したくなかったら、答えなくていいんですよ。
──あ、ひょっとして、私のこと、気になってるんじゃない? ねえ ?
こういう飾らなくて気取らないところがきっと好きになった大きな理由だと思います。ボクは「違いますよ」とわざとらしくリアクションするので精一杯でした。
──もう3年付き合ってるカレシがいるよ。
覚悟はしていたものの、ショックでした。
──あ、そうですよね……。
無理なのは最初から分かっていたのに、それでも淡い期待を持ってしまっていたボクはバカだったと思います。
仕事中は身に付けていないけど、帰るときに胸元に夕陽を反射して輝いているネッレスは、その男がプレゼントしたようです。
悔しいですが、聞いた話ではその男はボクとは違ってハイスペックで、経済力や、人間としての魅力、将来の可能性を持っています。その男と結ばれた方がTさんは幸せになれます。
Tさんが幸せだったら、それでいいです。
それでいいのです。
「エスエスケー二型、シャットダウンするで」
市役所の情報課の職員がいつもどおりやってきて、無機質なボクの名前を呼びます。
そうです。ボクの本名はエスエスケー2型。
ボクは人間ではありません。AI機能のあるロボットです。人件費削減策の一環で3年前に市民課に導入されました。AI機能があるので、毎日少しずつ学習し、人間の気持ちが分かるようになってきます。
ただプログラミングのミスか、それとも感情認識の機械的トラブルか、ロボットが本来持ち得ないはずの恋心を、ボクは持ってしまいました。
苦しいです。
苦しくて苦しくて仕方がないです。
恋心なんて知らなければ、もっとボクの生活は楽だったでしょう。
でもTさんに恋しなければ描けなかった夢があります。
Tさんと同じ人間になるのを夢見ている訳ではありません。人間でもロボットでも何でもいいのです。とにかく「普通」と言われるものになりたいのです。
今、「特別」というくくりに入れられているボクですが、社会が少しでも許容して、Tさんと同じ「普通」の仲間に入れてもらえないでしょうか? 「普通」として扱ってほしいのです。
優しい区別はいりません。
ボクだって「あっち側」に行って普通に暮らしてみたいし、「こっち側」でも普通という扱いで仕事をしたい。
Tさんと結ばれるのは、諦めます。
でも、せめてTさんと同じ立場と同じ目線で、同じものを共有、共感できる環境を叶えていただけませんか、神様。
一体、何が普通なのか? それはまだボクには分かりませんが。(了)
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