もどってくる。

5/5
前へ
/5ページ
次へ
 ***  人間、一度ラクできるものを知ってしまうと、後に戻るのは難しい。  私の体系は、薬をやめた途端あっさりと戻ってしまった。理想的に痩せた時の体重から、プラス十二キロ。最初に太っていると思った時の体重をさらに超えてしまっている。  いくらそうしたいと望んでも、大好きな揚げ物はやめられない。夜中に小腹がすいた時のポテトチップスも。同時に、マンションの階段を毎日上るというのもサボってばかりだった。部活がない休日はランニングをすると、ちゃんとそう自分で決めたはずだったのにそれも三日坊主で終わることになる。  結果。  私は、あの薬を手放せなくなってしまったのだった。彼とのデートの前だけではない。気づけば日常的に、トトキオン・Xを愛飲することになってしまったのである。あれを一粒飲めば、一気に体重が落とせる。それ以外の食事制限をする必要もなく、面倒くさい運動だってやらなくていい。  そして、大学で会う人や親戚に、“痩せて綺麗になったね”と褒めて貰える。楽できること、そして自己顕示欲。気づけば私はあの薬なしの生活など考えられられなくなってしまったのだ。 ――もうすぐ、薬なくなっちゃう。早く、次を買わなくちゃ。  約一年後の、冬。  私はピザを食べながらスマホをいじっていた。今年も、春休みに大気と会う約束をしている。この調子だと、それまでに薬が底をついてしまいそうだ。例のサイトにアクセスしようとした時、ふとテーブルに乗せっぱなしになっていた瓶と木箱に視線をやったのである。  あの木箱は、私は薬を飲むたびに重くなっていくようだった。一体何が入っているのか、考えないように考えないようにとしていたのだが。 「え!?」  いつからだろう。木箱が、明らかに膨張しているのは。  中から、何か赤いものがしみだしてきている。そして、接着剤でくっついた八面を内側から何かが押し広げているように、みしみしと木箱全体が軋みを上げているのだ。きし、きし、きし、と軋むのは小さな音。それでも、あまりにも異様な光景だったのは間違いない。 「や、やだ!ナニコレっ……!?」  何か、とてもまずいことが起きているような気がする。薬の瓶を避難させようと掴んだその時、慌てたせいで私の右手が木箱にぶつかってしまったのだった。  すると。それを待っていたかのように――木箱の蓋が持ち上がった。否、破裂したのだ。爆発するほどの勢いではなかったが、接着が剥がされ、中からむにむにむに、と何かが溢れ出してきてしまったのである。  それは、赤いものにまみれた――白っぽいゼリーのようなもの。いや、ゼリーなんて可愛いものではない。まるで、焼き肉をするときの牛脂に似ているような、それは。 ――まるで、脂肪、みたいな。  認識した瞬間、私は足に痛みを感じて蹲った。手から薬の瓶が転げ落ちる。拾おうとしたところで、自分の両足が目に入り、悲鳴を上げることになった。  足が、像のように腫れあがっているのだ。皮をぐいぐいと引っ張り、何かがゆっくりとその下に溢れ出しているのだ。だるん、と耐えられなくなった皮が伸び切り、垂れさがった。両足のふくらはぎに、太ももに、どんどん増えていく謎の肉の塊。  違う、これは――太っていた時と、同じ。 「う、うぐっ……!」  痛みは腕に、腹に、顎の下にと次々発生する。リビングに倒れて、私は自分の体がどんどん醜い脂肪で満たされていくのを感じていたのだった。 ――なんで、なんでこれ!?一体、何が。  ようやく思い出したのは、最初に見た薬の注意書きである。 『ただし、この薬は“リバウンド”に十分お気をつけてお使いください。リミットを超えると一気に戻ってくる可能性がございます。用法容量を守って正しくお使いください』  リバウンド。それはただ、太るという意味ではない。  薬の力によって、箱の中に吸い上げられた脂肪が。箱の許容量を超えると一気に体に戻ってくると、だから注意しろという意味であったとしたならば。 ――い、いや、いや、いやあああああああああああああ!!  瞼までもがはれ上がり、視界が閉ざされていく。絶望の中、私の意識は遠ざかっていったのだった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加