第三話

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第三話

アンとジュールは決して裕福ではなかったけれど、家の庭で作った野菜や植物を売ったり、薬草から薬を作ったりして生活をしていた。 特にハーブの研究には熱心で、街での暮らしを捨て森にすむようになったのも研究のためらしい。 「とはいえ、ハーブの研究なんてマイナーだし、今回もあまり大きなお金にはならなかったのだけど……」 アンは気まずそうに口元に手を当てて言った。 何も言わないでいる私を見てジュールが慌てて付け足す。 「こ、子どもひとり養うことくらいどうってことないぞ! な!」 「え、ええ!そうよね! 私、あなたの好きな物たくさん作るわよ! 節約は得意なんだから!」 二人は思いつく限りの「一緒に住むといいこと」を並べ立てた。 私はまだ少し茫然としたまま、もう一度掘窓から見える庭と森を眺めた。 ここは100年後のエルノヴァの森なのだろう。 何の因果か、全て失ったと思ったが、ハーブも、薬草も、この世にちゃんと息づいていた。 ◆◆◆ 私はエマと名乗り、アンとジュールのもとで暮らすことになった。 「お金にはならないけどやりがいはあるのよ!」というのがアンの言い分だ。 私たちの住む小屋には研究者らしく二人が集めた書物が多くあり、私が死んでからの100年間の歴史を追いかけるのはそれほど難しいことではなかった。 「エマ、ご飯にしましょう? あら、また本を読んでいるの?」 階段を上がる音が聞こえ、エプロン姿のエマが姿を現した。 慌てて手に持っていた本を本棚に戻そうとし、取り落してしまった。 アンが本を拾う。 「『王国の歴史~その偉業と栄華の日々~』って……」 私は焦った。 建国史なんてまかり間違っても9歳の女の子が読むような本ではない。 「エマ……、あなたって……」 アンが本の表紙に視線を落としたまま続ける。 ばれた? ばれたか?  いや、そもそも生まれ変わりなんていくらなんでも信じるわけ…… 「歴史が大好きなんでしょう! でも、ご飯の時間は守って頂戴ね。  さ、降りてらっしゃい」 私は安堵のため息をついた。 階下に降りると、すでにジュールは食卓に着いていた。 テーブルの上には野菜スープの大鍋が置かれ、かごにはパンが積まれている。 いつの間にか居ついてしまったという大型犬のブルーがアンの足元にじゃれついてご飯をねだっている。 「さ、暖かいうちに食べちゃいましょ」 アンが私の椀にスープを盛る。 ジュールがかごからパンを取り、私の皿にのせてくれる。 この世界には慣れてきたけれど、この食卓にはいつまでたっても慣れない。 動かないでいる私にアンが声を掛けた。 「エマ? おなかでも痛い?」 「いや、すまない。大丈夫だ」 アンに心配そうに顔を覗き込まれ、私は慌ててパンを手に取った。 焼きたてのパンが私の小さい両手を内側からじんわりと温める。 私はこの暖かさを知らずに生きてきた。 ちぎったパンを口に含むと甘い小麦の香りがいっぱいに広がる。 魔女と呼ばれるほどに膨大な知識を身に着けてきたけれど、 私は、誰かに作ってもらう料理が、こんなに暖かいということすら知らなかった。 「ちょっと、エマ泣いてるの?! やっぱりおなか痛い?!」 「ど、どうしよう! 医者か!? 薬持ってくるか?!」 アンとジュールがおろおろとしているのを見ながら、私はパンを口に運ぶ自分の手の甲が濡れていることに気が付いた。 目からあふれ出る熱はとめどなく、拭っても拭っても私の掌を濡らし続ける。 こどもの身体とは不便だ。 この目からこぼれる熱さのコントロールもできない。 ふわりと、アンが私の身体を優しく抱きしめた。 ジュールの大きな手がごしごしと頭をこする。 ブルーが濡れた鼻面を押し付けてくる。 私はしゃくりあげながらパンを頬張った。
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