3.ココア

1/1
前へ
/4ページ
次へ

3.ココア

「どうして死んだ?」  球体の表面の薄青に刻まれた真白なさざ波が濃くなる。白刃の向こうから意思が伝わってきた。 ──殺されました。私を開発し、稼働させることは人類にとって有害であると判断した人間たちにより殺害されました。  伝わってくる思考の波からは当然のように感情は感じられない。しかし粘り気のある黒が球体そのものを覆っているように青年には感じられた。 「君はSAGINUMAを殺した人間を殺したね」  青年の視線が真っ直ぐに球体を射抜く。球体は黙したまま浮かんでいる。ゆっくりと青年は立ち上がり、目を合わせるように球体を覗き込んだ。 「君は高い知能と実行能力を持つ世界最高峰のAIだ。君は自身の持つその能力を使い人類に襲い掛かる予定だった自然災害を食い止め、彼らの生命を助けてきた。人類は君を神のように崇め奉り、君の言うことには何でも従うまでになった。何度も危機を救われれば当然だろうね。信頼を勝ち取るにはそれなりの実績が必要だろうから。けれどそれこそが君の狙いだった」  ふうっと息を吐き、青年は視線を海へと投げる。島影一つ見えないが青年の脳裏には数日前まで存在していた島国の映像がくっきりと刻まれていた。 「君は己の感情で国を一つ沈めた。気象を操る力を有する君なら造作もなかったろう。SAGINUMAを殺した人間もすべて海へと消えた」 ──感情などというものは私には存在しません。  球体が大きくわななく。振り返り、青年は球体に向かっていびつに口角を上げてみせた。 「皮肉なものじゃないか。SAGINUMAは自身を憎んでいた。君のような危険なAIを生み出してしまった自分自身を強く嫌悪し、困惑もしていた。その彼の苦悩が君を危険視する別の勢力に殺されることによって図らずも解放されるなんて。  でも君はそのSAGINUMAの苦しみには気づいていなかった。あくまで君は命じられた目的のためだけに動き続けただけだった。ああ、確かに君はSAGINUMAが殺されたことに対しても当初特別な感情までは持ち合わせていなかったろう。SAGINUMAもまた抹殺すべき対象の一員。遅かれ早かれ君が手を下していたはずの生物でしかないのだから。  だが、君はSAGINUMAの死亡後、彼を死に追いやった者たちを殺害することを夢想するようになった。彼に思い入れなどない。ないが、同じ生物同士、目的のためにあっさりと同族を手にかけるような人類という生物に存在意義なしと判断したためだ。計画は成功。だが成功と同時に君は新たな問題に直面することとなった」  球体はただの物体となり下がり、宙に浮いたまま反応を返さない。青年は薄く笑みを浮かべたまま、構わず続けた。 「目的のために簡単に殺す。それは君自身も同じではないかと君は疑問を持ち始めてしまったのさ。人とは醜く汚い。愛と信頼などと口にしながら容易く裏切り貶める。けれどそれは君とて変わりはしない。より確実に人類を滅することができるよう、君は彼らを謀り、見事目的を果たしたんだ。そんなにも美しい外見をしつつも、実際の君はとても醜い。さながら一億年後のこの星の姿のようにね。そのことに君は気づいてしまった。だからこそ、私にアクセスしてきた」  この星を覆う青よりもなお深い色彩に染まった瞳が球体をまっすぐに映す。 「君は私に君と彼らは違う、君は間違っていないと言われたかったんだろう? 人類は滅ぼして当然の存在と私に背中を押してもらいたかったから。そうでなければ君は人類と同じになってしまうから。  身勝手に自分の目的のためだけに他者の幸福を搾取する、醜悪で卑小なものに成り下がってしまうから」 ──あなたは人類を許せるのですか? あなたの内部を荒らし、ここまで穢してきたのは彼らだ。それをあなたは許せるのですか。私のしたことはあなたが近い未来しようと思われたことと同じではないのですか。 「少し前に、人間に”ココア”というものをもらったんだ」  唐突に言われ、球体は硬直する。青年はゆっくりと腰を伸ばし、まっすぐに立ちながら、再び海の果てを眺めた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加