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その2
宮の御前の、御几帳推しやりて、
長押(なげし)のもとに出でさし給へるなど、何となくただめでたきを、
さぶらふ人も、思ふことなき心地するに、
「 月も日もかはりゆけども久に経る三室の山の 」
といふ言を、いとゆるるかにうち出だし給へる、
いとをかしう覚ゆるにぞ、げに、千年もあらまほしき御有様なるや
配膳仕うまつる人の、をのこどもなど召すほどもなく、わたらせ給ひぬ
「 御硯の墨すれ 」と、仰せらるるに、目は空にて、ただおはしますをのみ、見奉れば、ほとど継ぎ目も放ちつべし
白き色紙をしたたみて、「 これに、ただいま覚えん古き事、一つづつ書け 」と仰せらるる
外(と)にい給へるに、「 これはいかが 」と申せば、
「 疾う書きて参らせ給へ。男はこと加へはべらふべきにもあらず 」とて、さし入れ給へり
御硯とりおろして、「 とくとく、ただ思ひまはさんで、難波津(なにわづ)も何も、ふと覚えんことを 」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや
中宮様が几帳を押し開いて長押のところまでお出ましになられるご様子も、この上なく素晴らしいので、お仕えしている私たち女房も、何の憂いもなく、満ち足りた心地がしていたところ
『 月も日もかはりゆけども久に経る御室の山の 』という古歌を、大納言様がゆっくりとした調子でお歌い出しになられましたのも、
非常にしみじみとした風情を感じさせられますことで、本当に、千年もこのままでと願わずにはいられない、お二人のご様子でございます
お食事の配膳をする係りの者が、食膳を下げる蔵人を呼ぶ間もなく、帝がこちらにお出であそばしまして
中宮様は、何か楽しいことでも思いついたのでしょう、「 お硯の墨をおすりなさい 」とおっしゃいましたが、私は気もそぞろ、ドキドキしてしまって、ただただお並びのお二人方ばかり見てしまうものでございますから、あやうく墨継ぎを落としそうになってしまいました
中宮様は白い色紙を推し畳んで、「 これに、今から思い浮かぶ古歌を一首ずつ書きなさい 」とおっしゃいます
私は、ちょうど御簾の外においでの大納言様に、「 これはいかがいたしましょう 」と申しましたところ、
大納言様は、「 早く書いて差し上げなさい。これは男が口出しすべきことではないだろう 」と仰せになって、色紙を御簾の中にお返しになります
中宮様は、お硯を取って下ろし
「 早く早く。とにかくあれこれ考えないで、難波津でもなんでも、ふと思いついた歌を書きなさいな 」
と急かしなさるのですが、とっさのことなので頭の中が真っ白になってしまって、何も浮かびません
難波津なんて、手習の初めに誰もが書く歌ですから、子供だって知っています
まさかそのような歌など書けようはずもなく、私としたことが、、どうしたことか、、
胸は早鐘を打つようで、顔も赤くなってしまったのでございました
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