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「はぁ、まるで初恋の頃に戻ったみたい……」
今日は仕事がお休み。
私は自分の部屋のベッドの上で懐かしの中学校アルバムを見ていた。鳴海くんとは同じクラスになったことはないけど、部活で三年間ともに過ごした。後ろのページに各部活ごとの集合写真が写っている。これか唯一、鳴海くんと一緒のフレームに入っている写真だ。
部員は五名、紅一点の私が椅子に座って周りを男子が囲んでいる。鳴海くんは私の右斜め後ろにいて、優しくも端正な顔つきで写っていた。その下に書かれている『鳴海蒼真』という名前を指でなぞり、一人静かに微笑んでしまう。
最近の私はふわふわしている。
鳴海くんと一緒に働きだして二か月経過した。同じ職場だと顔を突き合わさない日はない。鳴海くんを惚れ直す機会がごまんとあるから、彼の存在が大きくなってしまっている。
まるで中学生のころの私みたい……。
「萌奈―っ、スイカ切ったから食べにこいよー」
しゃがれた我聞の声が一階から聞こえ、私ははっと現実に戻った。仕方なしにアルバムを片付けて一階に下りて行った。
「我聞、来てたんだね」
「食えよ。高級な黄金スイカだぞー」
我聞が運んできたおぼんには、切子硝子のお皿に1/8カットの黄金スイカが輝いていた。
「食べる―。我聞、ありがとう」
シャリシャリと極上スイカを食べていると、食べ終えた我聞が手を拭きながら私に訊ねた。
「この前よ、蒼真の家で俺はなんて失言していたんだ?」
「過ぎたことじゃないの。今更よ」
私は手も口も止めないで答えた。
「そっか…」
我聞が大人しくなった。
「我聞が気にするなんて珍しいね」
「俺だって感情のある人間だぞ。落ち込むことくらいある!」
なぜか天に向けて拳を突き上げた。そういうところが悩みがなさそうと勘違いされるのに。
「で、何に落ち込んでいるの?」
我聞は今度はモジモジしながら自信なさげに口を開いた。
「…俺、蒼真に後ろめたさがあってよ…」
「何かやらかしたの?」
私がそう言うと我聞はしばらく黙ってから、頭を傾げた。
「俺は…蒼真にすごく大事なことを伝え忘れてる気がするんだよ。でもそれがなんだったか、思い出せないんだ」
何を忘れたのかを忘れる、アホ丸出しの我聞だけど、忘れていることに気が付けたのは進歩かもしれない。
「ちなみに、それはいつ頃の話?」
「それも…」
「忘れたの?」
本当に呆れた。それにかかわっている鳴海くんが気の毒だと思うほどに。
「…うん。だからこの前酔っぱらって、俺の口を縫うぞって怒ったなら、きっとそのことかなと思ってさ…」
「絶対に違う。断言するわ」
間髪入れないで私が答えた。その早さに我聞がイラっとする。
「なんでお前が断言できるんだよっ」
「それは…」
私のアソコを鳴海くんが診察した話だったから、なんて私の口から言えるわけがない。私だって家族同然の我聞には知られたくなんてないもの。ここは誤魔化そう。私は軽く咳ばらいをした。
「我聞が忘れたことって大事なことじゃなかったのよ。だから思い出せないのよ」
「そうだな…」
単純な我聞の表情に明るさが戻った。
「気にしない方がいいよ。あれから鳴海くんも普通だしね」
「それならよかったぜ…」
我聞はほっと胸をなでおろしていた。きっと、本当に大したことでもないのだろう。鳴海くんの運命を変えるようなことに、我聞が関わっているはずはないと思ったから。
「ところで、玄関にトレッキングシューズがあったぞ」
「明日、病院の山岳部の活動があるの」
「萌奈が山岳部?」
「新人だから顔を売ってきなさいって主任に命令されて参加よ」
ようやくスイカを食べ終えた私はタオルで手を拭きなが答えた。
「どの山に登るんだ?」
「高尾山だよ」
「じゃあ、お土産は天狗おやき、一択だな」
我聞の瞳に輝きが灯った。実に我聞らしい反応だ。
「有名なの?」
「最高に美味いぞ。並んででも買って来いよ」
「我聞にリクエストされると…めんどくさい…」
一気に購入する気が失せた、と私はへの字口を作ってみた。
「おれもいつも差し入れしているだろう?」
「はいはい。じゃあ、私は明日の準備するから皿洗いよろしくね」
「えー、他人ちのキッチンは勝手がわからないよー」
「スイカカットして、食器棚から皿も選べるのに?」
私はぎろりと我聞を睨んだ。
「記憶が戻ったー。さあ、片付けよう」
我聞はそそくさとおぼんを持ってキッチンへと向かっていった。
珍しく落ち込んでいた我聞を励まして元気にさせたのだから、皿洗いくらいはやってもらってもいいよね。
明日土曜日は若葉総合病院 山岳部の活動日。
4A病棟の以外のスタッフとの交流で顔見知りが増えれば、仕事の上でもやりやすくなる。これ、実はすごく大事なことである。やはり市川主任さんは私のことを考えてくれているんだなって嬉しくなった。
明日、誰がくるのかな
仲良くなれる人がいたら嬉しいな
心を弾ませて私は明日の準備に取り掛かるのだった。
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