私を守るひと

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「藤川さん、エンゼルケアお願いします」 この日、私は日勤のフリーで患者のケア周りをしていた。気持ちよい秋晴れの午後、4A病棟は静まり返っていた。 卵巣がんのターミナル(終末期)ケアを受けていた413号室の柏木恵子さんが亡くなった。北田師長の指示で、私と大久保看護師は柏木さんのエンゼルケア(死後の処置)に入ることになった。 エンゼルセットをワゴンに乗せて大久保さんと413号室に向かった。丁寧にお辞儀をして個室に入ると、最後の時間を過ごした家族が力なく私たちに振り返った。 「これから柏木さんのお身体を清めます」 と挨拶をすると、ご家族は一斉に立ちあがり、 「よろしくお願いします」 とおっしゃり、みな、廊下へと出て行った。 エンゼルケアは、亡くなった方の身体を清拭で清め、ご家族希望の召し物に着替えさせる。普段と違うのは、ここでは襟は左前、帯は縦結びに仕上げることだ。そして生前に近いお顔になるよう薄化粧を施す。 大久保さんとベッドを挟んで手際よくセットしてゆく。「では、柏木さん。始めますね」と声をかけて私と大久保さんは手を合わせた。  柏木さん、お疲れさまでした  これからお身体を綺麗にしてご家族のもとに帰りましょうね と心で唱えた。 そして大久保さんと一緒に丁寧に身体の清拭を始めた。するとすぐに大久保さんに異変が現れた。 「す、すみません…気分が」 としゃがみ込んでしまった。 「大丈夫?座ってて」 私がそう声をかけると、青白い顔をした大久保さんは近くにあった椅子に腰をかけた。 「もしかして大久保さん、エンゼルは初めて?」 大久保さんは新卒一年目の看護師だ。病棟勤務が始まってようやく半年が経過するころ。 「はい…。というか、ご遺体に触れるの、人生で初めてで…」 大久保さんはとても申し訳なさそうに、うつむきながら答えた。 「そうだったのね。無理しないで休んでて」 そう伝えると私は一人で作業を続けた。この仕事では、人の死に立ち会うことは避けられない。私も同じような経験をしてきたから、大久保さんの反応は至極当然だと思った。この経験は看護師としての通過儀礼のようなものだから。 途中、ぼそりと大久保さんが口を開いた。 「…こういうのって慣れるものですか?」 「え?」 「…私、産科なら新しい命が生まれる明るい病棟だって思って希望したんです。でも、婦人科では「死」もあるんだってこと忘れていて…。本当にこれでは看護師失格ですよね…」 大久保は涙を流していた。でも、こうやって真剣に悩むということは、この仕事ときちんと向き合っているということだ。 「気持ちはよくわかるわ。私だって新人の頃は同じ体験をしたから」 「本当ですか?」 大久保さんが頬に流れる涙を手の甲でふき取る。 「ここは唯一『生と死』が混在する特別な病棟だもの。戸惑うこともたくさんあるわ」 「はい…」 「ここで私たちは、安全に安楽に過ごせるように患者を助ける。『産まれる』『亡くなる』現象は違えど、私たちの役割に変わりはないって思っている」 「……うっ」 大久保さんの感極まった声が漏れた。 「”エンゼルケアに慣れる”って表現していいのかわからない。でもね…」 私は柏木さんの点滴の痕を丁寧にふき取った。 「人間は最後は寿命がつきる生き物でしょう。それまで自分のため、他の誰かのために一生懸命に生きる。そう思うと産まれてくる命の愛おしさもわかるし、死にゆく者への尊敬も生まれる」 これは私の信念。 だから手を止めて大久保さんをまっすぐに見た。 「だから最後は『お疲れさまでした』っていう気持ちがぴったりかなって思うんだ」   この話が大久保さんにどう受け止められてかはわからない。でも、大きな目を開いて私の話を聞いてくれていた。 きっと、この子は大丈夫。 私は確信していた。 清拭と着替えが終わり、最後に薄化粧を施そうと準備をした。 「あ、あの…私がお化粧をさせてもらっていいですか?」 顔色が戻った大久保さんがそう申し出てくれた。 「私、柏木さんのプライマリーナースだったんです。だから、生きていらっしゃるときのお顔、よく覚えています」 看護師の使命に満ちた目を感じて、私は彼女に任せることにした。 私もかつてそうだった。 産まれる命と死にゆく命に戸惑い、どう患者に接していいのかわからなくなることがあった。でも、経験を積むとわかる。どちらも尊い現象なんだと。私たちの提供するケアは基本は同じなんだってことが。 私はそんな病棟で働けることが、今はとても嬉しいんだ。
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