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そして翌日の夜勤務。
今夜は分娩待機もなく病棟が落ち着いていた。
久々に穏やかな夜勤だな
今夜のメンバーは、私と市川主任とベテラン看護師の三人だったので何があっても余裕だ。翌日のために分娩室で消毒と物品の補充整理を行っていた。分娩台をアルコールで綺麗に拭き上げていると、入り口の戸を叩く音がした。
振り向くとそこに鳴海くんが立っていた。
「鳴海先生…」
昨日のことかな。本当に話があるんだ
「話があるんだよね?」
私がそう切りだすと鳴海くんは何も言わずに部屋に入ってきて、私の前に立ちはだかった。
また無言。
今日も不機嫌なのかな?
最近、鳴海くんの知らない一面をよく目にする。こんなに感情が表に出るタイプではなかったのに。
「鳴海くん、様子が変だね。なにかあった?」
「藤川、前の病院をなんで辞めたの?」
いきなりその質問だった。
私の胸がズンっと一気に重くなる。触れたくもない悪い思い出が、再び箱から飛びだして私の心を突いてくる。
「…どうしてそんなこと聞くの?」
「少し調べたんだ」
「な、なにを?」
「聖三愛病院の産婦人科医 東十条誠の婚約者に外来で写真をばらまかれたって本当?」
ああ――――…
私の心臓が大きく跳ねて、思わず目を瞑ってしまう。
誰にも知られたくなかった私の黒歴史。
あのことを鳴海くんは知っているんだ。
私は胸が苦しくなってどうしようもなくなる。
「それは、事実なの?」
悪い思い出は全てしまい込んで忘れたかったけど仕方がない。
私は静かにコクンと頷いた。
鳴海くんは厳しい目をしていた。
「なるほど。それは事実。で、その真実は?」
―――!!
私は驚きで目を見開いた。
あの場面を目撃したほとんどの人は、私が悪人だと認識していた。なのに鳴海くんは、何かしらの事情があったことをわかっている。それが理解できたとき、私は胸いっぱいになり涙が溢れそうになった。
「正直に話さないと、学会で東十条に会ったら殴っちゃうよ」
鳴海くんの真っすぐな眼差しにこもる怒りは、私ではなくあの男に向けられているのだとわかる。鳴海くんは私を信じてくれている。それだけで私は救われる。
「…すごい。私は鳴海くんから信頼されているんだね」
「藤川が婚約者がいる男性を誘うなんて俺は信じない」
「うん、そうだよ。私はそんなことはしていない」
私は観念してすべてを話そうと決めた。消毒液を台に乗せると少しだけ間をおいて鳴海くんを見た。
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