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01 アピス
「お義父様、お願いです!早くしないと命が救えません!ここから出してください!」
イリスは頭を床につけて懇願した。自分のせいで誰かの命が散ってしまうことを避けたくて、初めてこの男に縋った。
「どこの誰かわからない者が死んだって私たちには関係ないだろう。」
嘆願を鼻で笑い見下ろす中年男性は聞き入れる様子はない。
「そんな……そんなこと許されません!」
「お前が決めることではない。お前に『アピス』をさせるつもりはない。ここから出ることを禁じる。」
男は冷たく言い放ち、ガタンと扉を閉めた。
・・
イリス・ベルトランは不幸せだった。
イリス・ベルトランは辺境伯家の長男の妻である。
そして、ベルトラン家の奴隷でもあった。
ベルトラン辺境伯領は豊かな資源に恵まれた領地だ。
金属鉱山を持ち、銀の採掘事業を成功させ多額の収入を得ていた。
そしてこの事業を陰ながら発展させたのはイリスだ。
イリスは元は男爵家の娘だが、学園の首席の才女で魔力の高さも飛び抜けていた。
しかし、その能力に目をつけられベルトラン家に嫁ぐことになってしまった。
ベルトラン家の長男は病気で意思疎通が取れる状態ではなく、ベルトラン辺境伯は息子の妻という言い分でイリスを手に入れた。
イリスの父は酒に溺れた男であり、多額の金を掴まされ彼女を送り出した。結婚というよりは商品の売買だった。
そして文字通り、馬車馬のごとくイリスは働かされた。
イリスは銀を探しあてる山師の仕事と、鉱夫たちが掘り出してきた物を精錬する仕事を任された。
彼女の高い魔力のおかげで次々と鉱脈は発見され、作業員たちの何倍も早く丁寧に精錬できた。
イリスが嫁いでから領地の収入は倍増し、彼女は着飾ることも許されず、
薄暗い鉱山を歩かされ、採掘場から搬出された物たちの中で泥だらけになっていた。
嫁いで一年後、会話も一度も出来ないままイリスの夫は亡くなった。もちろん子供もいなかったが実家には帰らせてもらえるはずもなく、それからまた一年がたった。
・・
「今日も疲れた。」
ベッドに入る。イリスに与えられているのは使用人と同じ簡素な部屋だ。
働くことは嫌いではない、飾り立てられて微笑む夫人よりも性には合っている。
でも、私はもっと魔法を自由に使いたかった。と思いながら、イリスは目を閉じた。
そんな日々のなかで、目を閉じた時だけイリスは自由になれた。
イリスはいつも思い出す。学園にいた頃を。
自由に魔法を使って、たくさんの知識に触れて。ライバルとどちらが優れているか対決してみたりして。
学生の頃は、魔法省に勤めて研究を続けたいと思っていたっけ。
魔法を使う仕事をしたいと思っていたが、こんな単調で自由のない仕事だとは思っていなかった。
この生活はいつまで続くんだろう、夢の中の学園生活が現実で、現実が悪夢で、明日には醒めてしまえばいいのに。
そして、翌朝 イリスの願いが通じたかのように、彼女の胸には花蜜病のアピスの紋章――六角形の痣が浮かび上がっていた。
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