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3.
弥勒といい円といい時雨といい、どうしてあやかしの方々はこうも押しが強いんだろう、と改めて思う。
時雨の着せ替え人形になること三十分。十着以上袖を通した結果、時雨はようやく「これよ!」と高らかに宣言し、雪乃を艶やかな振袖姿に変身させた。
足袋を履き、時雨が用意した下駄を引っかけ、雪乃は試着室を出る。下ろしていた髪も、時雨がきれいなアップスタイルにまとめてくれた。
「素敵よ。最高だわ」
時雨が嬉しそうに、そして自慢げに胸の前で両手を合わせた。その隣で、円がかすかに息を漏らした。
「どう、円。惚れ直したでしょ」
「はい、惚れ直しました」
「ま、円さんっ! なにをおっしゃってるんですかっ」
顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。雪乃は両頬を手で覆い隠した。
「いえ、本当にとても素敵です。よくお似合いだ」
「当たり前よ。私の目に狂いはないんだから」
時雨が選んだのは、わずかにピンクがかり、光の加減で藤色にも見える白地がベースの一着だった。桜や菊など、幸せを呼び込むと言われる吉祥文様の花が、夜空に浮かぶ天の川のような美しいうねりを伴って裾の先まで散りばめられ、赤、橙、えんじなどの暖色系で鮮やかに飾られている。金の帯が華やかさを演出する反面、着物の淡い色味が大人びた落ち着きも感じられるところが、実は雪乃もこっそり気に入っていた。
母の持っているものとよく似たグリーンの振袖も羽織ってみたけれど、正直、今着ているホワイト系のほうが好きだと思った。肌になじむ、とでも言えばいいだろうか。本人の申告どおり、時雨の目に狂いはない。
しかし、
「これ、すごく素敵なんですけど……」
悲しいかな、とても手が出る値段ではなかった。母はもともと雪乃の好きなものを選べばいいと言ってくれていたけれど、買うとなると独断では難しい。母もおそらくはレンタルするという心づもりでいたはずだ。
「なに迷ってるのよ」
時雨がからっとした笑みを浮かべて言った。
「買えなんて一言も言ってないじゃない。貸してあげるわよ、成人式の時に」
「本当ですか!」
「もちろんよ。円がお世話になっているんだもの、これくらいお安い御用だわ」
微笑む時雨に、雪乃は「ありがとうございます!」と腰を直角に折って礼を言った。
「でも、私のほうが円さんにお世話になっているくらいなのに、私ばっかりよくしてもらっちゃっていいんでしょうか」
「いいのよ、気にしないで。円が元気になれたのはあなたのおかげ。円が健やかに過ごしてくれることは、私たちみんなの願いなんだから」
円の健康が、みんなの願い。
「それ、確か雄飛くんも……」
沙夜に家政婦の仕事を打診された時、雄飛も同じことを言っていた。円には元気でいてほしいのだと。
沙夜も、弥勒も、雄飛も、時雨も。みんな、円のことを気づかっている。円のことを想っている。
あたたかいつながり、絆の深さをひしと感じた。嬉しそうに雪乃の振袖姿を眺めている円を見て、雪乃は言った。
「皆さん、とても優しい方ですね」
うらやましいなと思った。優しい人との出会いに恵まれると、それだけで人生が明るくなる。穏やかな気持ちで生きていける。
円は少し照れたようにうなずいた。
「時雨さんや弥勒さんは、良き兄というか、父親代わりというか。雄飛はよく、幼い僕の遊び相手になってくれていました。幼馴染みみたいなものです」
「へぇ、素敵。家族みたいですね」
そうね、と言ったのは時雨だ。
「狭い集落だから、あの山に棲むあやかしはみんな家族みたいなものね。特に円は八雲様の忘れ形見。元気に育ってもらわなきゃ、私たちみんなが困っちゃうのよ」
「八雲様って、亡くなられた円さんのお父さん?」
えぇ、と言って、時雨はわずかに表情を曇らせた。円は口を開く素振りを見せない。ほんのわずかに、店内の気温が下がった気がした。
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