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紅茶
「お父様、帰りました」
「話は聞いた。すまなかったな、ルナ」
足が不自由な父ヴォルフは、めったに店には来なかった。ルナは店の2階に住み、休みの日は父の鍛冶場へ行って技術を学ぶ。父は鍛冶場から出る事はほとんどなく、そこに居住している。
ルナはアリスからもらった王家御用達の紅茶を淹れ、席についた。
「近衛兵になるという話は?」
「まだ、決めかねています」
ただでも無愛想な父娘同士の会話に、あのような事件があった。氷のように気まずい時間が流れたが、それを少しだけ溶かしたのが王家の紅茶だった。
「美味しい……」
「うん……そうだな」
娘には一つ気がかりがあった。自分がいなくなったらこの店はどうなるのかという事だ。
「あの、お父様。もし私が近衛兵になったとしたら、この店はどうなりますか」
「しばらくは閉じることになるだろう」
「そうですか……」
「俺ことは心配するな。まだ決まったわけではないが、近衛兵団が正式にうちの剣を採用するとなれば、どのみちもう店の分の武具を生産する余裕もなくなるだろう」
「それはそうですが……」
ルナは父の店が好きだった。あまり人が来ることはないが、店番をしながらうたた寝するのも、ご近所さんとの付き合いも、無愛想ながらも看板娘として働く生活が好きだった。
「店が好きなんだな」
「……はい」
優しい紅茶の香りと、静かに動く時計の針だけが、父娘水入らずの時間をゆっくりと動かしていた。
「お前には一流の鍛冶職人としての素質がある。だが、それ以上に剣の才覚がある。それは間違いない。いつかこの日が来るとは思っていた」
「お父様……」
「どの道を選んでも、俺はルナを応援するよ」
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