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「じゃあ」と若生さんが窓を閉めようとした時だった。 「ふみ!帰ったのか!お帰り!」  酒焼けした声に呼ばれ振り返ると、我が屋のある古いアパートの一階から父が手を振りながら歩み寄って来ていた。  白いTシャツに白いステテコ、茶色い腹巻。  崩れたバーコード頭からはみ出た数本の毛を風に靡かせながら登場した父に、私はタイミングの悪さから白目を剥きかけた。  若生さんとの接触を防ぐために、それでは気を付けてお帰り下さいませ、と言おうと急いで振り返ったが、後ろで「なんだふみ!彼氏か!ボーイフレンドか!」と父が声を張り上げて駆けて来てしまったせいで、若生さんの意識は完全に父に向いてしまった。 「お父さん?」 「あ、え、あ、まぁ、…はい」 「おうおう、おう!おお、こりゃあ立派そうな青年じゃないか、ええ!ふみ!なんだよお前、彼氏いたのか!なんでいないって言うんだよ」  私の隣で立ち止まった父は、私の肩をバシバシ叩きながら機関銃のように唾を飛ばした。おまけにお酒の匂いが鼻腔をツーンと刺激してくるので、若生さんがいなかったら顔をしかめていただろう。  いつの時代だよみたいな恰好をした父に彼氏と勘違いされてしまっては、若生さんもそのまま車を発進させるわけにもいかず、困ったように笑いながら首を振る。 「娘さんとはお付き合いしてませんよ。会社の知り合いなんですけど、たまたま会ったので家まで送っただけです」 「ただの知り合いをたまたま会っただけで家まで送るのか!ひやぁ、すげぇ紳士だな!」 「まあ…、いろいろありまして。娘さんに後で聞いてください」 「そうかそうか。よし、ふみ!あとで父ちゃんに話せ!な!」  背中を一発叩かれると、爽快な音がした。  今のはちょっと痛かったが、若生さんがいる手前、笑顔をキープしたまま何も言わない。  手加減はしているのだろうけど、酒が入るとやたらと叩いてくる父が、私は苦手だ。  あのまま失踪して帰ってこなければ良かったのにと、たまに思ってしまうくらいには苦手だ。
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