最後の笑顔

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 浦浪(うらなみ)中学の2年B組の教室には、西島祐介(ゆうすけ)のほか、誰もいなかった。  悪天候のため仄暗(ほのぐら)い屋外が窓から見える。雨の降り(しき)る音が間断なく聞こえている。電気をつけられたこの教室の明るさが、どこか不自然に感じられた。  祐介はデスクから単行本の、海景画(かいけいが)の画集を取り出し、開いた。閑散とした早朝の教室で画集を眺めるのが彼の日課だ。  モネの『印象・日の出』が目に留まり、そこでページをめくる手を止めた。この画集で彼がもっとも気に入っている作品だからだ。  彼が『印象・日の出』から汲み取ったもの……。それは彼が初めて眺めた海の感動、そのものだった。  ああ、と、当時の彼は嘆かずにはいられなかった。  しばらく同じページを眺めていると、雨音に交じった足音が聞こえた。  彼は教室の入り口のほうを向いた。引き戸が勢いよく開かれると、そこには1人の女子生徒が立っていた。  立っている生徒は、尾藤夏海(びとうなつみ)だ。開かれた入口からゆっくりと入室し、祐介の方へと向かっていった。 「……おはよう。早かったな」  夏海が彼の机の真ん前に来てから、彼は挨拶(あいさつ)をした。画集から目を話すことはできなかった。鑑賞に集中していたからではない。彼女の雰囲気に異様なものを感じ、怖気づいてしまったからだ。  彼女は、すぐには挨拶を返さなかった。  しばらく気まずい沈黙が流れた後、彼女はようやく口を開いた。 「……おはよう」  それを聞き、彼はようやく本から目を離した。  夏海は薄笑っていた。しかし、その目は暗鬱な怒りを(たた)えていた。
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