最後の笑顔

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   その日から何度かデートらしいことをしたが、祐介にとって一番思い出に残っているのは、秋休みの時に、祐介の提案で行った水族館だった。不思議なことに、水族館に入ってからより、出てからの、駅に向かっている最中の会話の方が印象に残っていた。 「いやぁ。けっこういろんな魚がいて、面白かっただろ?」 「700円を使っただけの価値はあるね」 「おいおい、そんな生々しいこというなよ……」 「ねえねえ、あそこのレストラン行こうよ」 「あんな高そうなところ、中学生の小遣いで行けるわけないだろ。メシは家でいいだろ?」 「ねえ、西島……」 「……なんだよ、急に」 「鈴音ケ浜にも、水族館で見たような魚、いるのかな?」 「ああ、そうだな……」  彼は少し考えた。そして、鈴音ケ浜の光景を思い出した。  まだ小学生だったころ、車に揺られながら眺めた茫洋(ぼうよう)たる(あお)い鈴音ケ浜の海は、燦々と輝く太陽に照らされて、キラキラと煌いていた。夏で窓が開いている時は、潮の香りが微かに感じられた。  そのような記憶を思い出して、答えた。 「まあ、少なくともイワシはいるだろ」 「イワシだけ?」 「いや、もっといる。何がいるかはわからんけど」  祐介は自信ありげに言った。  そんな彼に、夏海が言った。 「いつか連れてってよ。鈴音ケ浜に」  彼女は無邪気そうに、繋いでいた手を前後に振った。  祐介はためらわず、言った。 「うん、行こう。いつか」    しかし、鈴音ケ浜へ向かう前に、2人の間に亀裂が入ろうとしていた。  きっかけは祐介が10月に開催された美術コンテストで、彼が入賞を逃したことにある。  もともと7月のコンテストで、銅賞を受賞していたこともあり、入賞は堅いと自信があったので、精神的に受けたショックは大きかった。  さらに、入賞者の作品のクオリティは非常に高かったことが、彼の危機感をを募らせた。特に、金賞を受賞した時枝純隆(ときえだすみたか)という生徒は、作品の独創性、技術、表現力、どれをとってもずば抜けていた。7月のコンテストでも銀賞を受賞していた生徒だったが、明確に能力が向上しているのが分かった。  こうして祐介は、美術に対しての強い焦燥感に苛まれるようになった。そして、夏海を気にかける意識が、だんだんと弱まっていった。  ほとんどデートしなくなり、一時期はほぼ毎日のように行っていたLINEでのやり取りも、極端に機会が減った。  そうして、2人の関係は悪化の一方を辿っていたが、次の出来事が、2人の間にできた亀裂を、より深めることになった。  先週の土曜日、夏海は彼に、絶対に自分の家に来るように約束した。  しかし、彼はその約束を完全に失念してしまっていた。  彼女は、彼にあるサプライズを披露したかったのだ。そのため、彼女が受けたショックは、祐介の想像以上に大きかったのだ。  放課後、2人は校舎裏で話をした。 「……怒ってる?」 「別に……」  嘘だ、と祐介は思った。それは彼女の目を見れば明らかだった。 「ただ、教えてほしいだけ。なぜ土曜日、うちに来なかったのか」 「……」 「別に、これないなら連絡してくれればよかったのに……」 「……」 「何でもいいから、何か言って?」 「……余裕がなかったんだ」 「余裕?」  彼女は、今まで聞いたこともないような低い声を発した。  祐介は、苛立ちを交えて自己弁護をした。 「俺だってな、暇じゃないんだ。お前だってわかってるはずだろ。去年の10月のコンテストの結果が芳しくなかったんだ。だから、7月に向けて絵の練習をしてたから……。それで……」 「何それ、あたかも自分だけが頑張ってるみたいだね」  そのように言う夏海の声は、微かに侮蔑の色を含んでいた。 「私、サプライズ用意していたのにな……」  彼女は下を向き、言った。声音は打って変わって哀感を感じさせた。  彼女は続けた。 「もう別れようよ。これ以上は、なんか違う……」  祐介は、言葉を返すことができなかった。夏海は重い足取りでその場を立ち去ろうとした。  立ち去り際に、一言、祐介に言葉を残していった。 「私、昔の西島の絵の方が好きだな」  その日以降、2人はまともにやり取りをしなくなった。  学年が上がるとクラスも変わり、ほとんど接触もなくなった。  
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