最後の笑顔

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 高校卒業後、祐介は特に目的意識もなく、大学に入学した。  進学したのは、滝成(たきなり)大学。所在地は天谷町の隣にある水沢町(みずさわまち)だ。  祐介は水沢町で寮生活を始めた。  寮から1~2分ほど歩くと、最寄りのアーケード街である、あおぞら商店街の入り口がある。  彼はあおぞら商店街で、休日、買い出しをするのが日課だった。  そこで、祐介は邂逅(かいこう)した。  ある日の夕方、食料品を購入しようとしていた時だった。  あおぞら商店街の入り口付近で、路上ライブをしている女性がいた。  なんだなんだ、珍しいな、と思いながら女性シンガーの方を眺めた。  あれ、この顔、まさか……。  彼の予想は、看板を見て、確信に変わった。看板には、尾藤夏海と記されていた。    買い出しが終わった後、立ち寄ってみると、CDの販売が行われていた。  彼はあえて、列の客が少なくなるのを待ってから、最後尾に並んだ。CDを購入する、一番最後の客になるために。 「ありがとうございます」  夏海は明るい声音でいい、CDを渡した。 「あの……」 「はい?」 「覚えて……ますか?」  彼はそう言うと、スマートフォンを取り出し、アムバムから、1枚の写真を開いて彼女に見せつけた。  それは、2人であの水族館に入った日、建物前で記念撮影した写真だった。  それを見た彼女は、少しぎこちない笑みを浮かべ、言った。 「……久しぶり」  それから、夏海が定期的に開くストリートライブに、祐介は足しげく参加するようになった。  夏海の紡ぐ等身大の詩と、微かにざらついた、それでいて一音一音はっきりした声が、彼女らしいと感じた。  CDも、金銭的な余裕がある時は買っていた。CDを受け取るたびに、彼女は莞爾(かんじ)として笑うのだった。  LINEでのやり取りも、定期的ではあるが、再開した。互いのライブの感想や、近況報告が、主な話題だった。    ある土曜日の午後、祐介がLINEを開くと、夏海からメッセージが届いていた。 夏海「ちょっといい?」  祐介は返信した。 祐介「うん」  数十秒後、LINE通話がかかってきた。 「懐かしいね。LINE通話なんて」 「あの日以来だな」 「あのさ」  僅かに間をおいて、夏海は言った。 「一緒に、鈴音ケ浜に行こうよ。約束したじゃん。昔さ……」  彼女からの突然の誘いに、祐介は内心、驚いた。  しかし、どこか嬉しくもあった。 「そうだな……。いつにする?」 「明日がいい。空いてる?」 「突然だなおい。まあ、空いてるけど……」 「正午くらいに、海岸前のバス停があるみたいだから、そこで待ち合わせしよう」  夏海の声が弾んでいた。まるで、2人が最も仲睦まじかった時のような声だっだ。  祐介は天谷町から引っ越してから、おおよそ10年近く、鈴音ケ浜を見ていなかった。  海岸前のバス停で、茫洋(ぼうよう)と広がる海を眺めた。太陽はあの日と同じように、燦々と光りを注いでいた。 「お待たせ」  右を向くと、夏海がいた。あの日と比べると、彼女は少し大人びたように感じられた。 「これが、鈴音ケ浜……」  夏海は、鈴音ケ浜の方を向いた。 「なっ、言っただろ、生の海はヤバイって」  祐介は、少し得意げになっていた。  しばらくして、彼女は言った。 「……ヤバイね」  祐介は、彼女の姿にデジャヴを感じた。その姿は、彼女が『広大なる鈴音ケ浜』を見つめていた時と重なっていた。  その姿を見つめながら、祐介は言った。 「久々に、絵を描いてみたんだ。いつか見てくれないか?」  夏海は振り返って、答えた。 「じゃあその時、私のサプライズも見てほしいな。あの時、できなかった……」  夏海は、笑っていた。その笑顔が、祐介の最後に見たものだった。  直後、バス停に立っていた2人に、飲酒運転していた車が突っ込んだ。                  *  
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