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(5) 逃げたモーツァルトの正体
栞に探偵になりたいかと問われて、私は放課後まで考えるまでもなく、「探偵をやる、というか探偵になってやる!」と燃えていた。
昼休みになると、一人で音楽室の前まで行くと、並んでいる肖像画を一枚一枚ていねいに観察することにした。なぜなら、栞にはもう犯人が分かっているようで、悔しかったからだ。
「モーツァルトの消えた肖像画と、ほかの……ベートーヴェンやショパンの肖像画と、紙質は同じ。ツルツルして光を反射している。モーツァルトの肖像画には貼りつけたようなあとはないから、そっくりな偽物の肖像画を用意して貼っているんだ」
モーツァルトの肖像画を留めている画鋲も見るけれど、どの肖像画とも遜色ない。犯人はモーツァルトの消えた肖像画をわざわざ作って、モーツァルトのいた肖像画と貼りかえたということで間違いはない。あとはその証拠と、なぜモーツァルトの消えた肖像画だけ、手間をかけてまで用意して、貼りかえたのか、という理由だ。
単にイタズラが目的なら、破り捨ててしまうなり、落書きをすることで十分だろう。けれど、それならすぐに元の肖像画に貼りかえられてしまうか、モーツァルトだけに限った犯行なら、モーツァルトの肖像画を失くしてしまえば済むはずだ。
なのに、モーツァルトの消えた肖像画なら、それ以上のイタズラはない。モーツァルトの容姿が嫌いなのだろうか? だからすがたの見えないこの「逃げたモーツァルト」ならイタズラはしないのだろうか?
私は休み時間いっぱいを音楽室前のろうかで過ごした。
自分だったらどうするだろうか、とも考えてみた。
例えば、モーツァルトを選んだ理由。天才をひがんだ? モーツァルトの曲が嫌い? でも、どの楽曲や作曲家にも好き嫌いは存在するし、ただ楽曲が嫌いなだけでモーツァルトを憎むようなことをするだろうか?
「憎む? あれ? 犯人はモーツァルトを、そもそもどう思ってるんだろう。憎い? 羨ましい? 嫌い? 好き? 好きのうら返しで嫌がらせをしちゃう、とか? なんじゃそりゃ……」
思わず自分の答えに、自分で笑ってしまった。好きのうら返しで嫌がらせをするにしても、わざわざモーツァルトだけを肖像画から消すだなんて、地味で面倒な嫌がらせではないだろうか、と。
「天才だからひがむって、私ならありそうだけど、そもそもここに並んでる音楽家たちって、ほとんど天才だよね。モーツァルト一人にしぼる理由にはならないかなあ」
私はうーんとうでを組んで考える。
「ここにいるだけじゃ、校内に犯人がいるとも限らないよね。でも、校外の人が犯人だとして、貼りなおされるたびに音楽室に来てたら怪しまれるよね」
私はろうかの窓から外を見下ろしてみた。半分閉じられた校門が見える。そのそばを教頭先生がのんびりと歩いていた。
「校門はいつでも空いている。でも、やっぱり部外者が入ると目立ちそう。そしたら校舎内の先生か生徒が犯人だとして……。卒業生にはムリだなあ。今年も事件が起きてるんだから」
ふと音楽室の戸に手をかけてみたけれど、カギがかかっていた。図書室の合鍵を持っている栞とは違って、私はあいにく音楽室の合鍵を持っていないし、カギの管理は土屋先生だけがしているはずだ。今から土屋先生を探してカギを借りてくるには時間がないと思い、ゆっくりと音楽室前から離れた。
ゆっくりと歩きながら、私は考えを巡らせる。
犯人になりえる人は? やはり先生たちが第一候補だろう。土屋先生でないと仮定すると、長く教えている先生が犯人になりえる――と考えてから私は「いや、そうとも限らないぞ」と首をひねった。
私は何枚も貼りかえられたモーツァルトの消えた肖像画を見たわけではない。真剣に見たのは今ろうかに貼られている一枚だけ。過去の肖像画とまったく一緒とは限らないのでは、と思ったのだ。
「最初にモーツァルトの消えた肖像画を貼った人が、先生だったとして、もうほかの小学校に移動していたり定年になっていたとする。それでも模倣をする人がいたからずっと「逃げたモーツァルト」の七不思議が続いていた、という考え方もできるんだ!」
自分で言って、私はうんうんとうなずく。その手もあるぞ――と。しかしそれなら犯人は一人と限らないし、現在の犯人が分かっても、その前の犯人をさかのぼることはできない。
「どうしよう、どうやって犯人を……」
頭が痛んでくるほど考えるうちに、チャイムが鳴った。すると音楽室に向かう途中の土屋先生が、ちょうど角を曲がってやってきた。
「あれ、半田さん?」
「あ、土屋先生。こんにちは」
私はとっさに笑顔を見せてあいさつをした。土屋先生はカギと一冊の教科書を持っていた。
「何をしていたんですか? もしかして先生に会いに?」
土屋先生がおどろいた様子でたずねるので、私はすぐに「いいえ、違います」と首を横に振った。
「逃げたモーツァルトの調査です。ほら、私、探偵になったので」
私が笑顔でそう答えると、土屋先生は「そう」と言葉数少なくうなずいた。
「半田さんの調査は、フーダニット? それともハウダニット? ああ、ホワイダニットかな?」
「え……?」
土屋先生の質問の意図が分からず、私は頭をひねった。土屋先生はイタズラっぽい笑顔を見せた。
「あれ、ミステリー用語だと思ったんだけど……ちがったかな?」
するとざわざわと生徒たちの声が聞こえてきた。土屋先生と同じく音楽室に向かう下級生の団体だった。
「あ、じゃあ失礼します!」
私は手を振ってその場を離れると、土屋先生は笑顔のまま手を振ってから、音楽室へ行った。
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