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「フーダニットはWhodunit、犯人はだれか、という謎をさす言葉。ハウダニットはHowdunit、つまりどうしてそうなったのか、あるいはどうやったらそうできたのか、という方法を謎の焦点に当てた言葉だ。ホワイダニットはWhydunit、なぜそんなことをしたのか、という動機が謎となるミステリーを呼ぶ言葉だ。英語で習った5W1Hぐらい、タマでも分かるだろう?」
放課後の図書室で、私は栞に「フーダニット? とかホワイダニットってなあに?」とたずねた。私の質問に「なにを当たり前を聞いているんだ」という表情をしながらも、栞はていねいに答えてくれた。ていねい過ぎて、嫌味なぐらいだ。
「それで、探偵ごっこは続けるんだな?」
栞はカウンター前のイスに座って、相変わらず挑戦的で攻撃的な態度を見せた。私は思わずムカッとしながらも「当たり前でしょ!」と啖呵を切るように答えた。
「それに、ごっこじゃない。本物の探偵になるんだから!」
「ほー、そうかそうか。それならオレの言うことはよく聞いて、学ぶことだな」
「なんで栞が先生ポジションなのよ!」
「師匠って呼んでも良いんだぜ」
私は口を思いっきり横に大きく開いて「いーっだ」と顔をしかめてみせる。すると栞はケラケラと笑った。
「よし、じゃあさっさと本題に入ろう」
栞は笑いを引っ込めると、足を組んで私を見上げた。
「失せもの七不思議の一つで、『逃げたモーツァルト』の正体は土屋先生だ。それを証明しろ」
その言葉に、私の顔から血の気が一気に引いた。栞の言葉が聞き間違いだと思いたかった。しかし振り返った千紘も目を丸くしている。聞き間違いではなかったようだ。
「ねえ、栞。何を言ってるの? 私は土屋先生が犯人じゃないことを証明したいの。きっと別の犯人がいるはずなんだから……」
すると栞は口の端をゆがめて言った。
「探偵になりたいなら、事実から目を背けるな」
「事実って……」
「土屋先生が犯人で間違いない」
「なんでそう、言いきれるの!」
私は叫んだ。私と栞、そして少し離れたところで私たちを見守っている千紘以外、この図書室には人がいない。私の叫び声だけが室内にこだまして、ゆっくりと消えていった。
栞は目を細めながら言った。
「……言い切れる根拠ならある。ただ、証拠がない。そしてどう考えても、土屋先生が犯人で間違いない」
私はそれを、何度も首を横に振って否定した。
「証拠がないなら、犯人だって言えないでしょう!」
「土屋先生だと断言できる証拠がまだ見つかっていないだけで、状況証拠からみたら、土屋先生で間違いはない。そしてオレの推理は正しい」
栞のしずかな物言いに、たしかな自信があるのを私は感じた。それでも、否定せざるを得ない。
「でも、土屋先生が犯人だなんて」
すると栞は「おい、タマ!」と、ピシャリと言った。
「土屋先生が犯人じゃないと言い切るなら、それだけの証拠をオレに見せてみろ。それができないなら、オレの推理を受け入れろ。それか探偵ごっこをやめることだな。真の犯人が誰であるかを受け入れられないなら」
私はギュッと下くちびるを噛みしめた。私がこれだけ強く、土屋先生が犯人でないと言い張るのは、そうであって欲しいという願望でもあった。証拠はまだ、何一つない。土屋先生が犯人であるという証拠も、犯人ではないという証拠も。
すっかりだまってしまった私を見て、栞は立ち上がった。ランドセルを背負うと、図書室の合鍵を手に持っている。
「明日の朝までの宿題だ。土屋先生が犯人である。その証拠を、タマならたとえヒントでも、知っているはずなんだ。よく考えてみろ。そして明日の朝、答え合わせだ。そのとき、オレの推理も話して聞かせよう」
栞にうながされるまま、私は図書室を出ていく。うしろをしずかに千紘がついてきた。栞はカギを閉めるとさっさと消えてしまった。私はうなだれたまま図書室の入り口の戸に寄りかかった。そしてゆっくりとその場にしゃがんでいく。
「多満子……」
千紘が心配そうに私を見下ろしている。私はうつむいたまま言った。
「ごめん、千紘。今日は先に帰っててくれるかな」
戸惑う様子を見せながらも、千紘は「わかった。また明日ね」と何も聞かないまま、余計な言葉をかけることもなく、図書室の前から去っていった。その背中が見えなくなるのを見届けると、私は足を抱えて、ひざに頭をうずめた。
泣きそうなのに泣けなかった。目が熱いのに、涙が枯れたかのように、一滴もこぼれてこなかった。
土屋先生が犯人?
あんなに優しくて、生徒思いな先生が、こんな悪ふざけとしか言えない事件の、犯人だっていうの?
私は信じたくなかった。するといろいろな記憶がよみがえった。
音楽部で悩んだとき。人間関係や楽器との相性のことで長く悩んだことがあった。入部してからおよそふた月。そんなときに、私と一緒になって悩んでくれたのが、ほかの誰でもない、土屋先生だった。
特に明奈とは、それまでずっとちがうクラスだった。だから入部してから明奈と初めて接することになったのだけど、はじめのころはあまり仲良くできなかった。明奈のテンションやノリが、私とずれていると思っていたのだ。明奈のノリが大衆的なら、私はマニアックなノリ、というのだろうか。明奈は人の中心に立ちたがる性格で、音楽部の部員にはそれが受け入れられていた。でも、私はそのノリのせいで音楽部の中で一人、浮きそうになった。そんな私を助けてくれたのが、土屋先生だった。
「同じ音楽部に入った二人が、まったくそりが合わないなんてこと、ないんだよ」
そう言って、私と明奈、そして当時五人も集まらなかった音楽部員同士との架け橋役を買って出てくれた。そして練習の日々を積み重ねていくことで、少しずつ明奈やほかの部員と仲良くなっていった。おかげで私は、中学校に行っての練習でも、全校生徒の前での発表会でも、緊張に負けることなく、気持ちよくトランペットを吹けるようになった。
練習がきついな、とか、成長が停滞したな、と悩みだしたころには「音楽部に入らなきゃよかったかな」とか「来年は音楽部をやめちゃおうかな」と思うこともあった。それでも今年、音楽部を続けていたのは、土屋先生の細かいほどの心配りと、たくさんのフォローがあったからだった。
音楽部以外の生活でも、土屋先生にはたくさんお世話になったし、助けられた。テストで漢字間違いをしても丸をくれたように。
四年生のときには、運動会で苦手だと言ってもリレーの選手に抜擢されてしまったことがあった。あのときも、土屋先生だって運動は苦手だと言いながら、私の走る練習に付き合ってくれた。
五年生では学年の代表に選ばれて、朝礼の時間に作文の音読をすることになった。そのときは本番の一週間以上前からひどい緊張で不眠気味になってしまった。そんな私にリラックスできるクラシック曲を厳選して、土屋先生がピアノで弾いて録音したCDを私にプレゼントしてくれた。
土屋先生は、歴代の担任の先生たちのだれよりも私に親身になってくれた人だった。「優しい」という気持ちをそのまま人の形にしたような先生。そんな先生が、悪いことをするの?
でも――と私は考える。もし、土屋先生が本当に逃げたモーツァルトの正体であり犯人だったら?
楽譜をパソコンで打ち込んで作れるほど、パソコンの扱いになれている。モーツァルトの消えた肖像画を画像編集することが、おそらくはそれほど難しいことでないのかもしれない。
証拠である、モーツァルトの消えた肖像画が見つかっていない。けれど、広い音楽室という、ある意味では土屋先生個人の教室に、隠す場所がないとは思えない。
私は音楽室の中を思いだしてみた。
オーディオ機器、プロジェクター、アルミ製の書類棚が室内の前方を占めている。オーディオ機器とプロジェクターは、土屋先生以外の先生でも授業や研修で使うことがあるのを何度も目撃していたから、そこに隠すとは思えない。それにアルミ製の書類棚の方は、一般の生徒には触らせないけれど、音楽部の部員なら自由に開け閉めしたり、引き出しを漁ったりしても、お目こぼしをもらえている。ここに証拠となる肖像画を置くとも思えなかった。
ピアノ、オルガン。他に多くの丸イスが教室の広い範囲を占めるけれど、楽器の中や小さい丸イスに隠せるだろうか? ピアノの中に肖像画を隠して、音に影響がないとは思えない。音を響かせるためにピアノのフタを開けることも多いから、そこにも隠せない。オルガンは生徒たちがたまに使うから、こちらもダメだろう。丸イスも論外だ。
そしたら残りは、教室背面の壁と同化している、四十以上の引き出しだ。そちらはどうだろう。
「楽器も入っているから、乱暴に開け閉めしちゃいけないよ」と土屋先生が注意をすることはあるけれど、基本的に楽器の入っている引き出しは開け閉め自由だ。じゃあ土屋先生の私物が入っている「土屋の部屋」と呼ばれる引き出しは?
私は心臓がドクドクとはやく打つのを感じた。
(安心して。あの中を私は見たことがある。土屋先生が言っていたように、中には先生のお気に入りのCDや写真、卒業生からと思われる手紙が数通入っていただけ。肖像画をしまうスペースはあるかもしれない。けれど、それらしいものは入っていなかったはず)
私はホッと小さく息を吐いた。
「ほら……。たしかに土屋先生はあやしいかもしれない。でも音楽室の七不思議に、音楽の先生って考えが単調なんだよね。栞ったら……」
私はそう口に出しながらも、不安を拭い去ることはできなかった。
どうしても栞のあの堂々とした自信に対すると、私の土屋先生が無罪であるという主張には説得力が伴わないように思われた。
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