(6) モーツァルトの言い訳

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(6) モーツァルトの言い訳

 栞の言葉をすべて信じようとは思えなかった。けれど、すべてがウソだとも思えなかった。だから彼の推理を聞いた、その日の放課後。私は土屋先生に無理を言って、音楽室で二人っきりになってもらった。 「半田さん、今日はトランペットを持ってきてないんだね?」  土屋先生は私が手ぶらなのを見て、不思議そうな顔を見せた。前に土屋先生を呼び出したのは、ゴールデンウイークが明けて「先生! 新しい曲が吹けるようになったんです!」と言って音楽室を開けてもらったときだった。それから一週間も経たないうちに、私は探偵になって、知りたくなかった現実と向き合うことになってしまった。探偵になろうと思わなければ、知らなくて済んだ現実を……。  でも、探偵になったことを後悔――していない。 「今日は、先生にピアノを弾いてほしくて!」  今の私は、気を抜けば顔がくしゃくしゃになってしまいそうだった。悔しさで、泣きたさで。けれどそれを気力だけでなんとか笑顔に変えた。 「今、アニメで流行ってる曲なんです。タイトルは――」  テレビでも頻繁に流れるほど流行の曲を言えば、土屋先生は快くピアノのフタを開いて、鍵盤を弾き鳴らした。楽譜もなく、もしかしたら初めて弾くのかもしれない曲なのに、土屋先生はアレンジまで加えて弾いてくれる。  私はチラリと入り口の方を横目で見た。片手分ほど開いているドアからひらりと手が見えた。ろうかには栞と千紘が待機している。その存在を確認できただけで、背中を押されたように心強く感じられた。  そう、これは私と土屋先生の対決だ。そしてそれを千紘と栞が見守っている。私がそうして欲しい、と栞に言ったのだ。  栞は「自分が土屋先生の犯行を暴いても構わない」と言ってくれた。けれど私は、自分で最後までやらせてほしい、とお願いしたのだ。それはやはり、私が今も土屋先生が悪くない、犯人ではないという希望にすがっているからにすぎない。でも、それすら間もなく暴かれる。私自身の手で。 「はい、こんなもんかな」  土屋先生は、にじんでもいない汗をシャツの袖で拭くような素振りを見せて、満足そうに笑った。その笑顔に私の胸は痛んだ。まるでこれから大きなウソをつかなきゃいけないような気持ちだった。  私こそが、土屋先生のウソを暴こうというのに。 「先生、もう一曲、リクエストしたいです」 「しかたないですね。あと一曲ですよ」  私は小さく息を吐いてからリクエスト曲を口にした。 「トルコ行進曲……が聞きたいです」  ――これを言えば、土屋先生の化けの皮がはがれるぞ。ただし、決定的に嫌われるだろうが。  栞の言葉が脳裏によみがえる。それがウソでありますようにと私はリクエストをした。  土屋先生は、ひどく嫌そうな顔をしてみせた。 「トルコ行進曲、ですか?」  聞き間違いだろうかと言わんばかりの疑うような口調に、私はショックを隠せなかった。これまで入学して五年以上、私は土屋先生のいろんな表情をいろんな場面で見てきた。けれど、これほど嫌悪感を表す顔をしたのは、今日がはじめてだった。 「半田さん、本当にトルコ行進曲って言った?」  土屋先生もウソであってほしいと思ったのだろうか。苦しそうな優しい笑顔を見せて、たずねてきた。私はゆっくりとうなずいた。 「はい。トルコ行進曲が聞きたいです。ほら、有名な曲ですから……」  その先を私は言えなかった。  有名な曲だから――土屋先生でも知ってると思った? 弾けると思った? ……どの言葉で続けても失礼だと思って言えなかった。 「……半田さんの頼みなら、聞くしかないかな」  大きなため息が音楽室にこだました。それからしずかに土屋先生の手が鍵盤に置かれると、まるで自分のほほが叩かれたのか、と錯覚するような乱暴な音が、ピアノからドンとひびいた。  この時間が早く過ぎ去れと言いたそうな土屋先生の表情。いつもなら……さっきまでなら軽やかに動いて、鍵盤を優しく撫でるようだった指先も、今は鍵盤に触れるのを嫌がるようだった。そしてなにより、アレンジもなく、楽譜に忠実でもない、乱暴でいい加減な演奏。こんな演奏なら、聞きたくないと叫びだしたいほど、土屋先生らしくなくひどい演奏だった。  土屋先生も気づいているようで、途中で弾くのをやめてしまった。 「もう、良いかな」 「ええ、良いですよ」  そう答えたのは栞だった。
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