(1) 半熟探偵、誕生!

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 私が足早に向かったのは、教室ではなく、図書室だった。 「千紘!」  図書室に入ると、奥の一角に親友の今野千紘(こんのちひろ)が、立ったまま本を読んでいた。入ってきた私に気づくと「こっち!」と手を振った。 「この辺が有名なミステリー小説だよ」  そう言って千紘は、その背に立つ本棚を指さした。本棚は天井近くまでびっしりと本がしきつめられている。最上段の本はどうやって取ればいいのだろう。 「え、待って千紘。この辺って……これ全部?」  見上げた私の顔が、おもわず引きつる。ざっと数えても百冊はありそうだ。 「うん。これと、となりの棚も全部、ミステリー小説とか、サスペンスっぽいものだよ」  千紘はケロリと答えた。私はその本の多さに圧倒された。多さもさることながら、どの本の厚さもかなりのものだ。 「これだけあると、全部読み終わる前に卒業しちゃうよ」  千紘の「クスッ」と笑う声が聞こえる。 「そうだね。だから厳選しながら読んでいった方が良いと思うよ」  千紘はそう言うと、読んでいた本を閉じた。それから棚に戻して、代わりにとなりの一冊を手に取った。それは二年ほど前にドラマ化された『探偵はピアノマン!』シリーズ、その四冊目だった。 「本当はね、さっきまで読んでいた三冊目を借りようと思ったんだけど、多満子を待ってる間に読み終わっちゃったんだ」  私は目を剥いておどろいた。この短い昼休みに一冊を読み終えてしまったのだろうか? それは想像以上に読むスピードが速すぎる。私はおどろいて「千紘って読むのが速いんだね!」と言った。  千紘は「いやいや」と手を横に振る。 「途中まで読んであったからね。……それで四冊目のこれ、借りてくるんだけど。多満子はどうする?」  私はうーんと本棚を眺めた。ちょうど目線と同じ高さの棚を、端から端まで見ていく。そして私はちらりと千紘を見てから、千紘と同じ『探偵はピアノマン!』シリーズの一冊目を手にした。そのタイトルは「ショパンのエチュード失踪事件」。ドラマでも栄えある第一話を飾った、インパクトの強い物語だ。 あらすじはショパンのピアノ曲である、エチュード(練習曲)の何曲かが事件のカギとなってくる失踪事件についてだ。主人公はピアニストであり探偵であるという異色な人物で、ときに軽快に、あるときは難曲に挑むような緊張感で謎を解いていく。私の大好きなドラマで、今でも録画してあるドラマを繰り返し見るほどだから、十分に話を知っているのだし、それが文字でもきっと読みやすいだろうと考えたのだ。 「千紘と同じシリーズを借りてみるよ。読みやすそうだし」 「そうだね。おもしろいと思うし、音楽部の多満子なら楽しめると思うよ」  千紘はうなずいてみせると、図書室の入り口近くにあるカウンターを指さした。 「さっさと借りよう。予鈴が鳴っちゃう」  私は急いでカウンターに来ると、本を差し出して名前とクラスを言おうとした。 「いい。分かってる」  そう答えたのは、同じクラスの図書委員、神崎栞(かんざきしおり)だった。彼は私と千紘がそれぞれ本を持っているのを確認すると、カウンターの引き出しからすぐに二枚の図書カードを取り出した。私の分と千紘の分の図書カードなのだろう。 「タマが一巻、千紘が四巻、ね」  栞はそう言うと私たちから本を受け取った。本の中から図書カードを引き抜いて名前を書いていく。今どき、市内の図書館でも本を借りるときにはバーコードを使う。けれど丸抜小学校は未だにアナログな図書カードの管理で本の貸し出しを行っていた。カウンターの横にいくつかの折り鶴が並んでいるのをぼんやりと見ながら「そういえば」と私は栞に向かって言った。 「栞って図書委員だったんだね」  栞はたしかに、教室でも本を読んでいるような少年だ。ほかの男子のようにグラウンドに行ってサッカーをする様子も、考えてみれば想像できない。けれど図書委員をするほど本が好きだったとは思っていなかったのだ。 「四年も五年も、図書委員だったけど」  ぶっきらぼうな栞の態度に、私は千紘に向かって無言で肩をすくめてみせた。千紘は苦笑いを浮かべている。 「はい、どうぞ」  栞から本を受け取ると、ちょうど予鈴が鳴った。栞は立ち上がると、図書室の窓を閉めていく。 「手伝おうか?」  私は声をかけたが、栞に無視をされた。「もう、聞こえてるでしょう?」とつぶやきながらも、私は仕方なく千紘を連れて図書室を後にした。 「なーんか栞って、とっつきにくいよね」  私は思わず千紘に愚痴をこぼしていた。千紘は「そうだね。ちょっと壁がある感じ」と同意しながら、さっそく借りた本をパラパラとめくっていた。  単行本の『探偵はピアノマン!』、その四冊目のタイトルは「涙のレクイエム殺人事件」。千紘はワクワクした表情でゆっくりとページをめくっていく。 「『探偵はピアノマン!』って、今は何冊まで出てるんだっけ?」  私も千紘のめくる本をのぞきこみながら、千紘にたずねる。 「八冊目まで。でも図書館にはまだ七冊目までしかないよ」 「読めるのが楽しみだね――あれ?」  私は千紘の手を止めた。おどろいた千紘は足も止めてしまった。不審がるような表情で私を見つめている。 「どうしたの? 多満子」 「ちょっと、前のページに戻って」  千紘は首をかしげながら数ページ指でめくっていく。するとそこには、二つ折りのルーズリーフが入っていた。 「だれかの忘れ物かな?」  とたんに困ったような顔をした千紘が、私の方を見つめている。私は首をかしげながら「ブックマーカーの代わりじゃない?」と答えた。すると千紘は「たぶん、ちがう」と首を横に振った。そして本の角を見せてくれた。 「ほら、栞紐がある。だから、ブックマーカーとは違うと思うんだ」 「そうか」  私は左手でトランペットケースと本を器用に持つと、その二つ折りの紙を取り出した。そしてゆっくりと開いてみる。 「な、なにこれ!」  そこにはびっしりと英語が連ねられていた。 「えっ、どうしよう。英語じゃ私、読めないよ」  私は思わず千紘に押しつけるように紙を渡した。千紘はまるで何も見なかったかのように、その紙を本に戻してパタンと閉じてしまった。 「もしかして、前に借りた人のものかな?」  千紘は困ったように本を抱きしめた。私は「そうとは言い切れないよ」と首を横に振って答える。 「だって、千紘みたいに借りないで読む人もいたかもしれないし」 「そうか」と千紘はうなずいた。 「そうだね。だとすると、本当にだれのものか分からないね」  私たちが相談していると、いきなり後ろから声がかかった。 「おい、次は図工室での授業だぞ。遅れても知らないからな!」  それは図書室から出てきた栞だった。栞は駆けていきながら、スピードも落とさずに私たちを追い抜いてしまった。そうだ、次の授業は図工。「次の図工は図工室で版画の作成よ」と、給食のときに担任の先生に言われていた。 「千紘。とりあえず、あとでゆっくり考えてみよう。放課後に、その英語を読み解いてみようよ。教室なら辞書もあるし」  私の意見に千紘は「わかった」とうなずいた。 「読めば誰の忘れ物か、とか、分かるかもしれないもんね」  千紘とうなずきあうと、私たちも駆けだした。  戻ってきた教室には、もう誰のすがたもなかった。きっとクラスメートのみんなは、すでに図工室に行っているのだろう。私はつくえの上にトランペットのケースと本を置いて筆箱を手に持つと、教室の前で先に待っていた千紘と一緒に、走って図工室へと向かった。
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