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これまでにも版画の授業はあったけれど、今回の版画では「お気に入りの作品のワンシーン」というテーマで下書きをして、それを木に写して彫っていくという。今日は彫るために彫刻刀を扱う練習と、彫る前の下書きを完成させる内容の授業だった。
私は最近、お母さんと一緒になって推理ドラマを見るようになった。探偵や警察の人、あるいは一般の人……主婦だったり高校生だったりする人が、難事件に挑んでいく。それを見ていくうちに、私も探偵にあこがれるようになっていた。
でも、ドラマを見ているときは、ただのあこがれだった。ゴールデンウイークに土屋先生が「逃げたモーツァルト」の犯人だと思われていることを知った日から、私は(探偵になろう)と決意した。あこがれなんて貧弱な気持ちじゃない。探偵になって大切な人の無実を証明し、本当の犯人を暴いてやろう――と。
結局、私は最近、一番多くみているとある推理ドラマのワンシーンを選んだ。犯人を名指しするシーンや日常のワンシーンにしようかとも思ったけれど、最終的に〈証拠を手にして答えが分かった主人公〉の、ひらめいた表情をしているシーンにした。いつか、私にも謎の答えが分かりますように、という願いも込めた作画だった。
「あら、半田さんもミステリー小説から取ったのかしら?」
担任の宮内先生が私の後ろを通ったときに、そう声をかけてきた。私は先生を見上げながら首をかしげた。
「も? ほかにも同じような人がいるんですか?」
「ええ。今野さんもミステリー小説って言っていたわね」
千紘も同じような作品なのか、と思い、私はすぐに、彼女が今読んでいる『探偵はピアノマン!』シリーズだろう、と見当をつけた。
「ミステリー小説、今流行っているのかしら? 先生も学生のころによく読んだわ」
宮内先生の懐かしむ様子に、私はえんぴつをつくえに置いた。そして先生を見上げながら「何がおもしろかったですか?」とおすすめを聞いてみることにした。次にミステリー小説を借りるときの参考になると思ったのだ。
宮内先生は「そうねえ」とあごに指を添えながらふと考え込んでしまった。
「……おすすめするなら、古典ミステリーはやっぱり名作が多いわね。先生はやっぱり、ポピュラーなところで、江戸川乱歩やアガサ・クリスティー、あとコナン・ドイルのホームズシリーズなんかはよく読んだものだわ」
私も名前ぐらいは知っている、という作者や作品だった。やっぱり有名でおもしろいと言われるのなら読んでみたいな……と思っているうちに、宮内先生はほかの生徒に呼ばれて、そちらの方へと行ってしまった。私はえんぴつを持ちなおして続きを描きこんでいく。間もなく下書きが完成して、さて木に写そう――としたところで授業終了のチャイムが鳴ってしまった。
私はイスから跳ね上がるように立ち上がると、下書きの紙を先生のつくえに置きに行った。雪崩るようなクラスメートの列を横切って千紘の席へと向かう。
「千紘! 教室もどろう!」
うなずきながら立ちあがる千紘の手元から、下書きの絵がちらりと見えた。そこには楽譜が散らばる中で、絵を見ているこちら側を指さしている主人公が描かれていた。
「やっぱり、千紘は『探偵はピアノマン!』を描いたの?」
千紘は「やっぱり?」と首をかしげながらも「そうだよ」とうなずいた。
「おかげで多満子と音楽の話もできるようになったしね」
「今じゃ千紘の方が、音楽については詳しそうだよ」
千紘も下書きの紙を先生のつくえに提出すると、私と並んで歩きだした。千紘は小声で「ねえ、多満子」と私の耳元で話し出した。なぜ小声なのだろう? と千紘の態度に私は首をかしげた。
「どうしたの?」
「ちょっと思ったんだけど」
「何を?」
私が首をかしげて千紘を見ていると、千紘はニヤッと怪しそうに笑った。
「あの英語、もしかして暗号文じゃない?」
「英語って、さっきのルーズリーフの?」
「うん」
千紘は自信満々にうなずいた。
「えー? うそー」
私は思わず笑う。探偵を目指そうという私のもとに、そう都合よく暗号文がやってくるものだろうか?
「でも、そんな気がしたんだあ」
千紘はくちびるをツンととがらせながらそう答える。
「うーん、でも、なんで暗号? しかも英語で?」
私の問いかけに千紘は「うーん」とうでを組んで考える。
「それこそ、英語にしたから、読める人にしか分からないように、とか? 英語で書かれていることが、そもそも暗号だったりして」
「まあ……英語の宿題を間違えてはさんだ、っていう感じでもなかったもんね」
つい千紘の答えに私は同意してしまったけれど、まさか暗号文がそうそう本にはさまっているだろうか?
私も千紘につられてうでを組んで首をひねった。
「でも、たしかに不思議だよね。本の栞がなくって、適当に紙をはさんだ――っていうものでもなさそうだったし」
「それに、ミステリーの本にはさんであったんだよ? 意味深すぎるでしょ」
千紘の推理に、私は納得するしかない。千紘の洞察力はすごいなあ、と感心していると、私は(いやまずい、これでは名探偵千紘が生まれてしまう!)と首を横に振った。
「じゃあ、私があの英文の謎を解く! 探偵になるためにも!」
「探偵ピアノマン! ならぬ、探偵トランぺッター、だね!」
私は千紘の言葉に得意になって「謎が解けた暁には、そう呼んでよね」と決めポーズをしながら笑った。
教室に戻ってきた私は、自分の席に着いてトランペットのケースを手に取った。それを壁際の棚の上に置いていると、千紘が慌てて私の方へと近づいてきた。
「多満子、どうしよう、ないの!」
「なにが?」
「本だよ! さっき借りた本がないの!」
私はおどろいて急いで千紘のつくえに近寄った。たしかにそこには何もなかった。つくえの中を見ても、薄い教科書やノートがあるだけで、それなりの厚みがある『探偵はピアノマン!』は見当たらなかった。
「カバンやロッカーは? もう見た?」
振り返るといなくなっていた千紘を探して、私は教室をすみずみまで目を凝らして見た。すると、教室の壁際の棚の前でしゃがんでいる千紘をみつけた。
「千紘……」
「どうしよう、カバンにもロッカーにもないよ……」
千紘は今にも泣きそうな顔をしている。私はふと自分の席に戻って、つくえの上の本を見てみた。けれどやはり自分の借りてきた『探偵はピアノマン!』は一巻であり、千紘の借りた四巻ではない。私は自分のつくえの中やランドセルの中も見たけれど、千紘の借りた四巻はなかった。
私の席まで戻ってきた千紘は青ざめた顔をしていた。
借りた本を失くしてしまった――そのしでかしてしまったことへの重責で、今にも泣きだしそうな表情をしている。私は急いで笑顔を見せると「大丈夫だよ」と千紘の背中をさすった。
「わざと失くしたわけじゃないんだし。むしろ誰かに盗られた、って考える方が自然だよ」
「そうかな?」
私は「うん」と力強くうなずいて、千紘をはげました。
「だって、つくえに置いたまま、私たちは図工室に行ったんだよ? で、図工室に一時間近くいたわけだし、その間に誰かが教室に入りこんだってことも考えられるんだよ? それに図工室から帰ってきたときにはもう、クラスメートもかなりいた。こんなこと考えたくないけど、クラスメートの誰かに本を盗られたって可能性も考えるべきだよ。千紘が失くしたって、思い悩む必要はない」
千紘はくちびるを噛みしめながらも「そうだね……」と首をたてに振った。
ちょうど予鈴が鳴り、宮内先生も図工室から戻ってきたところだった。
「とりあえず、放課後もう一回、探してみよう。私も一緒に探す! それでもダメだったら、先生に話そうよ、正直に。私もついてるから」
「……うん、分かった」
うなだれた千紘を自分の席に座らせると、私も自分の席に戻った。そして自分の席からぐるりとクラス中を見渡す。この中に、千紘の本を盗った人がいるかもしれない。なぜ、千紘の借りた本を盗ったりしたのだろう。千紘に対する嫌がらせだろうか?
そう考えてから、私はふと思いついた。
「もしかして、あの英語の紙……」
千紘の借りた『探偵はピアノマン!』の四巻には、私も気になっている英語の文章が書かれた紙がはさんであった。わざとはさんであったのか、それとも間違ってはさんでしまったのか? まだ推測の段階だから、答えは分からない。けれど、もし本よりもあの二つ折りにされた、英語の文が書かれた紙の方が犯人の目的だったら?
「それじゃあ、千紘の本を盗った犯人は、本より中の紙が目的……?」
そう考えれば、辻褄が合うように感じた。もし仮に本の方が目的なら、順番待ちをすればいずれ借りられる。待っていられなかった理由があるのだとしたら、それは英語の書かれたあの紙にあるとしか思えない……。
宮内先生がさっきの図工の時間に思ったことをつらつらと言っている。けれどそれは私の耳を素通りしていた。
「はーい、それじゃあそろそろ、算数の授業をはじめます。そこ! えーじゃないですよ? ほら、早く教科書を開いてくださいね」
宮内先生の声にうながされるまま、私はつくえの上に教科書とノートを出して、代わりに自分の借りてきた『探偵はピアノマン!』の一巻をしまった。二つ前の席では千紘がうなだれている。その丸まった背中を見ているうちに、私は犯人に対してだんだんと怒りがこみ上げてきた。
(だれの仕業かわかんないけど、ひどいことするなあ! もし手紙が目的だったら、手紙だけ抜き取ればいいのに!)
つくえの下で私は両手をグッとにぎる。私は怒りで顔が熱くなってきた。
「……では、このページの問題を解いてくださいね」
宮内先生はそんな私の気持ちを知るわけもなく、教科書のページを指さしている。私はカッカと熱くなる頭で算数の計算問題を解いた。ものの五分で全問解けた――と楽観していた。けれど答え合わせをしてみるとケアレスミスで六問中二問間違えていて、さらに怒りがこみ上げてきたのだった。
(千紘のためにも、ゼッタイに犯人は見つけ出すし、許してやんないんだから!)
改めて、探偵への志を高く持った私だった。
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