恋人のキス

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恋人のキス

 慧ちゃんが俺の頬を包む手は海風にさらされてたせいか冷たくて、少し火照った頬に心地いい。  海沿いの寂びれたファッションホテルに入るなり、どちらからともなく吸い寄せられるみたいに唇を合わせた。  何度も何度も、触れては離れる唇。  時には掠めるように、時には吸い上げるように。  それは今までの時を埋めるような、そしてこれからの時を満たすような、甘く、切ない口付けだった。  吐息が吐息を追いかけるような、悲しさを孕んだ恋人のキスに凪いでいた心にかすかな波紋を呼び起こす。そこで生まれた小さな波がキス一つ重ねるごとに寄せて、涙となって溢れそうになった。  腰に回された腕に少し力が入れられ、それを合図のようにキスが深くなる。何度も角度を変えて濡れた唇を合わせては、差し込まれた舌先に自分の舌を絡め、歯をたて、吸い上げる。  そしたら仕返しみたいに唇に歯を立てられ、舐められ、強く吸われた。  そうして響く水音に、次第に頭が痺れ、思わず足の力が抜けそうになって慧ちゃんにしがみつく。 「……ぁ…っ…」  唇が離れ、それがさみしくて追いかけようとしたら、体がふわっと宙に浮いた。  閉じていた目を開ければ、そこには黒曜石の瞳。  熱されて溶けて生まれた火山岩は、それこそ本当は熱い慧ちゃんにぴったりだと思った。  俺を横抱きにした慧ちゃんは、それこそお姫様を扱うみたいに俺をそっとベッドに横たえた。  そして俺が首に回した腕を解かないままで覆いかぶさってくると、肘で体重をささえるようにして長い指で俺の髪を梳きながら、おでこに、瞼に、鼻頭に、頬に、口角に、何度もキスをくれる。  優しく触れては離れる唇。  こみ上げる感情に胸を焦がされる。  ああ……慧ちゃん。  こんなキスは。  切なくて、苦しくて、たまらない。  だから、もう一度口角にキスが落とされたとき、自分から慧ちゃんの唇を捉えて舌を割り入れた。 「……ふっ…んん…」  再び舌を絡めあえば、深すぎるキスに飲み込めない唾液が頬を伝う。髪を梳いてくれてたはずがグシャグシャにかき乱され、お互いがお互いの逃げ場を奪うようなキスに、呼吸を忘れた。  唇が離れて空気を吸い込んだ時、チュッと喉を吸い上げられて思わず声が漏れ、首筋に唇を這わされたらゾクっと腰が痺れて、また呼吸を忘れる。  ああ、慧ちゃん慧ちゃん慧ちゃん。  頭がおかしくなりそうなくらい好きだ。  なのに。  ただでさえ俺には慧ちゃんしか見えないのに。  まるで熱で自分自身を刻み込むみたいに指を、唇を這わされて、一層おかしくなる。 「……んっ……は…ぁ…」   ねえ、慧ちゃん、もう一回溶けて、そんで俺をその瞳に取り込んで?  俺なんていらない。  慧ちゃんの一部になれたら、それで。 「……は……んっ……」  慧ちゃん。  慧ちゃん。  漏れそうになる声を、唇を噛んでやり過ごす。  ああ。  俺はもう完全に慧ちゃんに囚われてるんだ。  好きだよ慧ちゃん。  心の中で、叫ぶ。  慧ちゃん。  この世で一番、慧ちゃんが好き。  例えこの「想い」がどんな形に変わっても、一生俺の中から消えることはないくらい。  ただ。  気持ちの形は変わってしまうから。  だから。  変わってしまうくらいなら。  もういっそ、今死ねたら。  慧ちゃんのものでいられるこの時に死ねたら。  俺は。  とんでもなく幸せなのにね。
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