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欠けら
「……は…」
いいように翻弄されて、ようやく解放された唇。
吐息が漏れたのと同時に腰が砕けて慧史さんの腕にしがみついた。
「輝、舌出して」
そんなこと言われても……。
やっぱりどうしても恥ずかしくて、ちょっとだけ舌先を出す。慧史さんは俺の前髪を細長い指でかきあげてから、また顔を寄せてきた。
うわぁ。
やっぱり綺麗な顔……。
いつまでたっても慣れないその顔に見蕩れる俺に、しっとりとした声で低く囁く。
「ん。…ほらもっと」
凄い技術を持った彫刻師が掘りあげた芸術品みたいな目。そんな目で覗きこまれてそんなこと言われたら、もう、どうしていいかわかんなくなる。
「……ぁ……」
いっぱい頑張って差し出したら、慧史さんは視線を合わせたまま、その舌先に尖らせた自分の舌をあわせてきた。
ざらついた舌の感触。
唾液を纏わせ擦り舐めるように絡められたかと思ったら、今度は吸い上げられるみたいに慧史さんの口の中に巻き込まれる。
「……ん……ンン……」
魂ごと吸い取られるみたいなキスにクラクラした。
わざわざ音をたてて強く吸われたと思ったら今度は唇を食まれて、俺がその唇を捉えようとしたら慧史さんの舌が俺の中に入ってきて、ああ、もう……。
これがキスっていうのなら。
ああ。今までキスだと思ってたのは、いったいなんだったんだろう──。
「……わかった。あ……ねえ、慧ちゃん」
「ん?」
「あの、さ。この頃、忙しい?」
「ああ。新店舗がごたついてるから」
「そっか」
「どうかしたか?」
「ううん」
俺だって、釣った魚に餌はくれないんだね、なんてこと、言ってみようと思ったりもするんだよ?
「じゃあ、頼んだ」
「ん」
いってらっしゃいのキスとか。
俺、ほんとはしてみたいんだよ?
でもそんなこと言えない空気。
今日だって商品を出荷する前に様子を見に来ただけなんだもんね。
相変わらずモデルさんみたいにカッコイイ慧ちゃん。俺だけを大切にしてくれてるなんて甘ったるい幻想は、いつ頃見えなくなったかな?
電話一本でフラッと現れて、ご機嫌伺いみたいに俺だけイかせて。俺がどれだけその電話を待ってたかとか、でもその電話でどんだけ悲しくなるかとか、まったく興味ないんだよね。
最近。
慧ちゃんが電話をくれるのは、お客の斡旋があるとき。
慧ちゃんが抱いてくれるのは、俺が拗ねるから。
前は。
毎日みたいに可愛いって言ってくれて、
毎日みたいにキスして、
毎日みたいにセックスしてたのに。
俺がズブズブに溺れたとたん。
離れられなくなったとたん。
「オレの為に一晩我慢して別の男に抱かれてほしい」
なんて。
ずるい。
だって好きな人にそんなこと頼まれたら。
そうしなきゃ捨てられそうだなんて思ったら。
断れるわけないのに。
どうせ清い身でもないから、慧ちゃんの為になるんならって……。
でも、そう思ってるのは俺だけじゃなかったって気付いたときは、もうお店に出てたっけ。
ああ。
最近また新しい子を見つけたんだね。
一緒にベッドに入っても、俺だけイかせて自分はイかないから、わかる。
俺を気持ちよくできればそれでいいなんて優しく言うけど、他の子の相手をしなきゃいけないから、俺で出しちゃったら後がもたないからってこと、もうわかってるんだよ?
輝夜。
俺の名前がそんな風につけられた時から、慧ちゃんはもう俺の名前を呼ばなくなったって気付いてる?
呼んでくれるのは……そう、無茶しそうなお客さんを斡旋した後に、俺が逃げないように、する時だけなんだ。
わかってる。
そんなのわかってるけど、俺はまたバカみたいに縋ってしまうんだ。
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