42人が本棚に入れています
本棚に追加
始まり
慧史さんと初めて会ったのは、たちんぼしてたのを咎められて、怖い人のたくさんいる事務所とやらに連れて行かれた時だった。
恐ろしくて息もできなかったけど、慧史さんは優しくて、とてもヤクザなんてものに見えなかった。
でも、あの日から俺は学校の奴等から売春を強制されることも便所にされることもなくなって、それどころか奴等は俺を見て怯えるようになって、やっぱりあの人はヤクザなんだって実感したんだ。
「なんか……恥ずかしい」
美容院の大きな鏡に映ったその姿が自分だなんて思えなくて、何だか変な感じがする。
茶色くなったオシャレな髪型と、ツルツルになった肌とピカピカになった爪。耳にはピアスが開けられ、眉毛まで丁寧に整えられて、17年ずっと知ってた野暮ったい俺は、どっかにいってしまった。
「凄く似合うよ。やっぱりこの色目で正解だったなぁ」
横に立つ美容師さんが俺の毛先を少し整えながら鏡越しに笑みを見せた。
今まで長めの前髪で世界を遮断してきたからこんなに開けた景色は慣れなくて、鏡越しっていっても人と目が合うとドギマギしてしまう。
そもそもこの美容室自体がもう、なんか、俺には場違いな高そうな店で、本音を言えばさっさと逃げ出したかった。
なんでこんなことになってるのか。
組事務所で優しく接してくれたカッコ良い人とは、何度か連絡を交わしてた。無理やりウリをやらされてた俺を気遣ってくれた内容だった。
その人に学校帰りに食事に誘われて、なのに、俺を誘った本人は俺をここに放り込んだと思ったらどこかへ行ってしまって……。
「あ、慧史さん、今終わったとこですよ」
「……!」
俺を夕食に誘った相手。少し前に会ったのに、それでもその名前を聞いたら心臓がドクンと跳ねた。
振り返ってその姿が目に入ったら、落ち着かなさの種類が違う種類になる。
さっきは黒いニットにデニムっていうシンプルな格好してたのに。細身のスーツに身を包み、大股で真っすぐこっちに歩いてくる慧史さんは、まるでステージのモデルさんだ。
数歩手前で立ち止まった慧史さんが、すっかり見蕩れてしまっていた俺に、目を細めるような笑顔を向ける。
う……わぁ。
カッコイイ……。
見てたいけど。
けど。
無理っ。
俺はいたたまれなくなって、慌てて目を逸らした。
駄目だ。
ほんと、駄目だ。
カッコ良過ぎて、おかしい。
お、俺、こんなカッコイイ人と……。
キス……した……んだ。
「とても似合ってる。せっかく綺麗な顔をしてるんだから顔を出した方がいい」
「……」
本当に整った顔の人にそんなことを言われたら嬉しいって気持ちより羞恥心の方が強くて、挙句こないだのキスを思い出したもんだから、もう、すっかり顔を上げられなくなった。
「じゃあ、行こう」
「……は、い……」
慧史さんに促され慌てて後に続く。
そんで食事にいくのかと思ったら今度は服屋さんに連れて行かれて、俺が普段来てる服とゼロの二個は違うスーツをあてがわれた。
「あの……こんな高いの、俺……。さっきの美容院だって……」
「気にしないでいい。勝手に俺の趣味を押し付けてるだけだから。今日、堅苦しい食事会に誘ったのも俺だしね」
「食事……か、い?」
「ああ。すまない。実は今日、慈善企業家の食事会なんだ。立食パーティー」
「え!?」
「騙し打ちみたいで悪いね。一人で行くのもつまらないから。まあ、スーツはバイト代とでも思ってくれればいいよ」
「……はあ……」
連れてかれた会場は俺なんかが足を踏み入れたこともない高級ホテルにあって、完全に住む世界の違う人達の中には有名人の顔もあって、なんか、もう、固まるしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!