5話 地域猫と過去の記憶(1)

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5話 地域猫と過去の記憶(1)

 一週間の時が過ぎ、また日曜日。  先週と同じくシェリの運動と散歩にと、二人と一匹は自然公園に来ていた。  薫は悠真とギクシャクしている中でも以前と同様に接しようとするが、無意識に一歩離れてしまう。  本能なのか、なんなのかは分からないが、体が勝手に一定の距離を取ろうとする。  一方それは悠真もであり、いつも並んで歩いていたのを一人前方にいくようになり、こちらの顔を見ようとしなかった。  そうしている間に日は傾いていき空が茜色に染まっていく頃、目の前には同色に光る海。  この街には近場に海があり、いつも来ている自然公園の敷地内に浜辺があった。  その懐かしき景色を眺めながら、薫は意を決して話始めた。 「……私ね、私は、海が見える町に住んでいたことがあるの」 「え? そうなのか?」 「うん、この海と一緒。日の入りが見えて、私がこの景色が好きだったから、よくお父さんとお母さんが連れて来てくれて。だから海は大好きなの」 「そうか、行ってみたいな薫が生まれた町に……」 「……うん」  二人の間に変わらずの距離があるが互いを見つめ合い、シェリはその様子をただ眺めていた。 「悠真は進学する為に、この街に来たと言ってたよね? それまでは、どんな町で育ったの?」  返答はないだろうと思いつつ、聞きたかったことを尋ねる。 「……俺か、家の近くに山があってな。よく遊んだもんだ」  予想に反して、悠真は一言呟く。  しかし薫は、その言葉に表情を強張らせていた。 「……あ。いや、大した場所じゃないし、話すほどでもない! この話は終わりだ!」 「ごめんなさい ……」  また互いに口を閉ざし、反対の方に目をやる。  二人は付き合って三年の月日が経っているが異常な程に身の上を話さず、特に子供時代について口に出したことはなかった。  今回みたいに軽い気持ちで自身について話したり相手について聞いたりすると、思いもよらない形で相手の表情が歪むことがある。だから余計に身の上を話さなくなっていった。  よって二人は、互いの出身地、交友関係は勿論のこと、家族構成すら知らず。逆に知っているのは年齢、勤続年数、出身地は別で引っ越しして来たこと、互いの家ぐらいだった。  今まではそれで良いと思っていたが、薫はその状況を変えたいと願い始めていた。何故なら。 『佐々木悠真に騙されている』  そう言われた時、否定出来なかった。それは悠真を知らないからだろうと。 「……私の家の近くにも山があったの。春には桜が咲いて綺麗な場所だった……」  相手を知る為には、まず自分から話をしなければならない。だからこそ、薫は話し続けていた。 「終わりだと言っただろう?」 「ううん、聞いて。知って欲しいの、私のことを」 「……ああ」  悠真はまた、こちらに目を向けてきた。 「ありがとう。家の近くに小山があってね。その山は緩やかな斜面だから、小学生になったら大人が居なくても登って良いと町で決まってて、小学生になって一人で登ったの。あちこちで桜が咲いてて、綺麗で、子供だけで登って良くなったことが嬉しくて、私は学校が終わったら毎日登っていたの」 「薫のことだから、動物か何かが居たんだろう? 犬か?」 「あ、分かる? ううん、猫なの。猫がいっぱい居て」 「猫がいっぱい? 捨て猫の溜まり場か?」 「ううん、地域猫だったの」 「地域猫か……、やはり、どこにでもいるんだな? 薫も餌やってただろ? 猫の為に給食残して食べさせた子、昔居たな……」 「分かる? だから先生に怒られちゃった。それから給食を猫に食べさせる為に残すのが問題になって、水も餌も市の人以外はあげちゃだめと決まったのよね。……それなのに」  薫は表情を変え、思わず唇を噛み締める。  あの夢が、まだあの子達を忘れさせてくれなかった。 「どうした?」 「何でもないの……」 「話せよ。何かあったんだろう?」 「あ、ありがとう、あのね……。その猫達、し、死んでしまったの……」 「え!」  その言葉に悠真はこちらを凝視し、唇を震わせていた。 「あ、ごめんなさい。なんでもな……」 「何があった! 何があったんだ!」  先程までの穏やかな表情から打って変わり、血走った目で問い詰めてくる。 「……あ、なんかね。猫達の水に農薬を混ぜた人が居たらしいの。酷いよね……、今も昔も変わらない。どうしてそんな酷い事が出来るのか分からない。……あ、ごめんなさい、嫌な話して」  声を荒らげた悠真に怯えつつなんとか経緯を伝えると、彼は瞬きをするのを忘れたのかと思うぐらいに、薫をまじまじと見つめてきた。 「……帰る」 「え?」 「悪い、今日は帰る!」  そう言い顔を背けたかと思えば、一度もこちらに目をやることもなくその場を立ち去って行った。  いつもなら、どんな状況でも家まで送ってくれる。  いつもなら、シェリの頭を撫でて帰って行く。  それなのに、明らかにいつもと違う姿に薫は立ち尽くしてしまった。  ──変な話、しなければ良かった。距離を縮めようとしなかったら……。  そう後悔しても、遅かった。 「クゥーン」  一部始終を見ていたシェリが、薫を見つめる。  彼だけは、その気持ちを汲み取り寄り添ってくれる。 「あ、ごめん。帰ろうね……」  一人と一匹は、街灯に照らされる自然公園から出て家路に向かっていく。
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