61話 木村 薫(10)

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「私は、あの町を出た時に名前と共に全て忘れました。記憶の断片が出てくる事はあったけど、覚えているのは感情だけ。顔も声も忘れていました。だけど就職して、会社の廊下で悠真とぶつかりその目を見た瞬間、あの人の事を思い出しました。その後、医務室に運んでもらったお礼を言おうと悠真を探そうとしましたが、あれほど怖かったはずの顔を思い出せませんでした」 「それで倒れてしまったの? 辛かったね……。加害者のことを忘れたのは自分を守る為か。それを佐々木の顔を見て思い出すのは、そうゆうことだよね……」 「はい。実は、目だけでなく独特な立ち方も怖かったです。あの少し猫背な姿勢も……」 「……ああ、なるほど。それは否定出来ないな……」  課長は無理に笑う。  悠真の独特な立ち方と猫背は長年の癖だと分かる。  二十年間、直ってなくてもおかしくなかった。 「……あの男性は?」 「大志さん? ……ですか?」 「うん。一応聞かせてくれる?」 「実は何度か、悠真と大志さんを間違えることがありました……」 「え!」 「あ、でも姿勢は普通ですし、背格好が似ているからだと……」  確かに大志は悠真と体格が同じぐらいだが、目元は吊り上がっておらず二重で、悠真とは全然似ていない。  課長も大志とは対面しており、それは間違いなかった。 「あの男性と連絡取れる?」 「いえ。一ヶ月以上、連絡を取っていませんでした。それで一週間前に電話しましたが、通じなくて。いつも気にかけてくれていたので、もしかしたら事件に巻き込まれた可能性があります」 「事件にか……。確かにその可能性もあるね。しかし、私は……」  課長は黙り込む。  しかし薫には分かる。課長は大志に変わらず疑念を向けていることを。 「課長は、大志さんのどこが怪しいと思いますか?」  気づけば、そのような言葉が出ていた。  薫はずっと疑問だった。どうして、課長はそこまで大志を疑っているのかを。
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