2話 訪問者

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『このことは、誰にも言ったらいけないよ?』  何が起きたのか分からず呆然としている少女に、相手は人差し指を立てこちらの唇に押し付けてきた。 『……え?』 『お父さんにも、お母さんにも、学校の先生にも、お友達にも、誰にも言ってはいけない。分かったね?』  理由を尋ねようとするが、鋭い目で睨まれた少女は口を噤み言葉を飲み込んだ。 『返事は?』 『……わかり……ました』 『もし言ったら、……と……を殺すから。家知ってるからね、伊藤愛梨ちゃん?』 「……やめて……、やめ……」  布団で寝かされていた薫が目を開けると、体全身に多量の冷や汗をかいており、肘膝には打ち身のような痛み。また唇は口内より血が滲んでいて、手の平にも鋭い痛みが伴う。  そんな薫に寄り添ってくれていたのは、悠真だった。 「悠真……。どうして?」 「倒れたんだよ。覚えていないのか?」  その説明により、薫は先程の極限状態を思い出す。 「あ、あ……」  また体は激しく震え過去の記憶に引き込まれそうになるが、悠真が薫の手を握る。 「悪い、急に来たら驚くよな」 「じゃあ、家の前……に居たのは……?」 「俺だ。こんなに驚くと思わなくてな……」  薫の強張っていた力が抜ける。訪問者は、以前に訪れたあの男性ではなかった。 「あ、違うの。睡眠不足だっただけ。ごめんなさい……」 「……俺、帰るから」  そう言ったかと思えば、悠真は玄関に向かって歩いていった。 「待って、あのね……」  薫は悠真を呼び止めようとするが、また言葉に詰まってしまう。何を言って良いのか、やはり分からず口を閉ざしてしまった。 「また……、来る」 「うん」  結局、その背中を見送ることしか出来なかった。  すると次に和室に入ってきたのはシェリで、こちらをじっと見つめたかと思えば、そのまま鼻先で玄関ドアを器用に開けて外に出て行ってしまう。その様子から食事を終えたと分かり、悠真が準備してくれたと察せられる。  一人になった薫は、風呂に入る為に洗面所に向かう。自分のせいだと分かっているが、この虚しい気持ちは抑えられない。  心を無にして入浴しようと脱衣所に立つと、そこには鏡に写った自分の姿。 「……変わると決めたのに」  自身に向かって、一言呟いていた。  薫は過去の事件からスカートが履けなくなり、髪が(なび)くほどの長さになると精神的に不安定になることから、フェースラインより伸ばすことはなかった。  こうして、大人になっても化粧やおしゃれに疎くなっていった。  ……いや、わざと疎くしていた。着飾ることが怖いから。  ──姿が変わっても心は変わらない。結局私は、あの日から何も変わっていない……。だから前に進めないんだ……。  薫は自身を責めつつ風呂の為、服を脱ごうとした時。 「ワンワンワン!」  外よりシェリが激しく吠える声が聞こえ、薫の体はビクつく。  シェリが吠えるのは先日のように主人の身が危険だと感じ取った時と、見知らぬ人物が敷地内に入って来た時。  呼び鈴は成長したシェリが外で過ごすようになり、玄関横から外門に変えていた。だから悠真以外の何者かが、敷地内に入って来ている。呼び鈴を押さずに。 「助けて、悠真……」  薫はその場にしゃがみ込み、ただ身を震わせていた。
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