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エスト・フリエルは父から大事な話があると呼び出されて告げられた。
「ティルヴァーン家のシエナ嬢と結婚してほしいんだ。」
「ハア…?」
父と2人きり応接間にて。仕事の話とばかり思っていたエストは間抜けな声を出した。
「ティルヴァーン家って確か公爵家じゃなかったか?次期国王と噂の王子と結婚した長女がいる、あのティルヴァーン家?」
「そうだ。」
「なんでそんな名家とうちみたいな貧乏貴族が…?釣り合わないだろう。」
ここは貴族制度が採用されているとある王国。ティルヴァーン家は王族を輩出することもある公爵家。
そしてフリエル家は田舎の小さな領地を営む子爵家だ。
エストは父の仕事を手伝いながら、魔法具の研究をしている21歳。
時々学会や研究の手伝いなどで王都に行くこともあるが、ティルヴァーン家の人間とは会話をした覚えもなかった。
「私もそう思う。」
父のグレアムも苦い顔をしてうなずいた。「しかし先方からのご指名なんだ。」
「指名?俺を?」
「エスト、君は……珍しい見た目をしているだろう。」
「なるほど、そういうことか。」
エストはこの国の人にしては珍しい容姿をしていた。黒髪に黒い瞳。父であるグレアムも母も金髪碧眼なのだが、なぜか生まれたエストは黒髪に黒い瞳だった。
もちろん不貞などではないし、何かの突然変異か、何世代も前にそういった血があったのかもしれない。グレアムは愛する妻を疑うこともしなかったが、幼き日のエストはこの容姿に傷ついたこともあった。
「公爵様は俺を珍しいペットとして飼うつもりなのかね。」
どの貴族も同じだ。見た目で判断して、バカにして。
不貞腐れて言葉を吐き出すエストにグレアムは「そういうわけではないみたいなんだ。」と続けた。
「珍しいからバカにしたいというわけではなさそうで…。
どうやらご令嬢が読んだ童話に出てくる憧れの人物が、黒髪で黒い瞳だそうだ。」
「それもバカにしてる気がするんだけど……。それで?」
馬鹿馬鹿しい話だが、父がわざわざ話してくるということは断れないということなんだろう。
「シエナ嬢はティルヴァーン家の四女で、18歳。そろそろ結婚をしなくてはいけない年齢だ。」
「公爵家の令嬢となれば、そうだろうね。」
「公爵家の四女というのは、言葉を気にせずに言うと保険なんだ。上の娘たちに何かあった時に代わりに嫁げるように、ずっと同じ教育を受けてきた。
しかし幸いなことに、無事に上の娘3人はそれぞれ結婚したそうだ。エストが知っている通り、王子とも。」
「なるほどね。それで、お役御免になったシエナ嬢はいらなくなったから、適当な男にポイッてわけだ。同情はするよ。」
エストの投げやりな言葉にグレアムは焦った表情で続けた。
「いや違うんだ、その逆だ。ティルヴァーン公爵はシエナ嬢を大切にしすぎているんだ。目に入れても痛くない、が比喩じゃないくらいに。」
グレアムは写真を取り出した。
斜に構えていたエストが驚くほどに美しい少女が写真に写っていた。透き通るほど輝く金髪はゆるやかなウェーブを波打っていて、猫のような形の瞳はエメラルド。陶器のようになめらかで血色のいい肌。お人形のように可憐だ。
「確かに可愛いけど……そんなに大切な娘をなんだってこんな家に嫁がせるんだ。」
「彼女は保険だからと、許嫁は存在しなかった。しかし彼女が16歳になり姉達は無事に結婚。
そこから、シエナ嬢の結婚相手を探したんだが、この容姿で、ティルヴァーン家だから申し込みが殺到したんだ。
保険にしていた負い目もあって、愛しい娘に結婚相手を決める権限を与えたそうだ。
…でも、それが間違いだったというわけだな。」
「彼女が気に入る相手がいなかったのか。」
「そうだ、16歳から今まで結局相手は見つかっていない。そこで希望者から選ばせるのではなく彼女の好みを聞いたそうだ。」
「その好みの条件に一致したのが俺だったってわけね。
なるほど、経緯は理解した。でもよくティルヴァーン公爵は俺を許可したな。」
「どんなに立派な肩書を持っている男性も、どれほど美しい男性でも嫌だと突っぱねたそうでね。
もう身元が確かな男であれば、可愛い娘の希望を優先するらしいよ。」
グレアムは疲れた顔を見せた。この様子だとティルヴァーン公爵に直接泣きつかれたらしい。
境遇に同情はするが、どんな男でも却下するなんてかなりワガママな令嬢のようだ。
「俺に選択肢はないのか?……ないんだろうな。」
「いや、結婚自体は決定ではないんだ。まずは今から1ヶ月、共に生活をしたいと。」
「…?」
「彼女は貴族の決められた結婚ではなく自由恋愛に憧れているらしい。」
「げ。俺しばらく王都に住むのか?」
「それが……彼女はこちらにしばらく滞在したいそうだ。」
「ええっ、こんな田舎、貴族のお嬢様には耐えられないだろう。」
「そして……エストには貴族としてではなく家庭教師として彼女と出会ってほしいようなんだ。」
「ますますわからない。」
「これはティルヴァーン公爵の希望でね。
シエナ嬢が、貴族というだけで全て却下していると感じているみたいだ。
だから、先入観をなくすためにただの家庭教師として知り合ってほしいと。」
公爵令嬢と結婚するシンプルな話ではなく、なかなかおかしな方向に進んでいる。とんでもない迷惑な話が降ってきたようだ。
「どうしてもエストが嫌なら断ろうと思っている。しかしこちらにも大きなメリットはあってね。」
「メリット?」
「まず、結婚に至らなくてもいいそうだ。むしろティルヴァーン公爵はそれを期待していると思う。
さっきも言ったが、シエナ嬢は自由恋愛に憧れている。今回も結婚相手としてではなく家庭教師として引き合わせる。彼女が気に入れば結婚……というわけだが、家庭教師なんて結婚相手には選ばないだろう。
シエナ嬢はこのワガママと引き換えに、18歳の誕生日には結婚相手を決めると約束したそうだ。
もしエストとも結婚に至らなければ誕生日パーティーに訪れた貴族の中から決めるらしい。」
「なるほどね。ティルヴァーン公爵が許可を出したわけだ。」
「そう。そしてこの1ヶ月、協力をした報酬として、エストの研究費用を全額負担しようと言ってくれているんだ。」
「なんだって…!?」
貧乏貴族のエストにとって研究費用はいつも悩みの種だった。本当ならば何も考えずに研究を進めたいのだが、膨大な費用がかかる。国から多少の補助はあるものの足りない分は領地の手伝いや王都で他の研究者の手伝いをしながら資金を作っていた。
「1ヶ月のバイト代にしては……かなりおいしい話だな。」
「エストはそう言うと思ったよ。」
本当はこんな迷惑は断ってしまいたい。自由恋愛……いや、恋愛ごっこがしたいだなんて、上級貴族のおふざけだ。
しかしそんなワガママな令嬢がここでの生活に我慢できるはずもない。珍しいからやってみたいだけだ。
もし……もし万一、結婚することになったとしても。悪い話ではない。
そろそろ家のために結婚しなくてはいけないかとも思っていた。
貴族の女なんて皆同じだ。誰と結婚しても同じなのだから、それがこのシエナ嬢だっていいわけだ。実家は金持ちで見た目も申し分ない。
1ヶ月面倒なことにはなるが……、彼女のおままごとに付き合うだけで研究費用を負担してくれるのであれば高すぎる報酬だ。
「わかった。それじゃあ、ご令嬢のワガママに応えて。1か月恋愛ごっこをしてみましょうか。」
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