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私は今、血に濡れた包丁を手にしている。そして、目の前には仰向けで倒れ息絶えている「彼」の姿があった。
2ヶ月前。
社会人一年目の私は、望んでもいない営業職に就いてから半年が過ぎようとしていた。毎日、目標値という数字に追われ、サービス残業も当たり前の生活で、一人暮らしのアパートへは寝に帰るだけ。
今日もまた気がつけば、憎い朝の光が私を目覚めさせた。ほぼ同時にスマホのアラームが鳴り、慣れた手付きで画面も見ずにアラームを止めると、起き上がりながら全裸になり、シャワーを浴びに風呂へ向かう。朝一で自分をリセットするつもりで全身を洗い流すのだ。
シャワーから上がり、下着姿でバスタオルで髪を拭きながら部屋に戻り、ベッドに置いたままのスマホを手にすると、母親からメッセージアプリのメッセージが届いていた。
「…朝から嫌な予感。」
険しい表情のままメッセージを開くと、案の定、朝から不快にさせる内容が綴られていた。
『元気にしてる?たまには連絡よこしなさいよ。あのさ、美尋ちゃん結婚するんだって!あんたも頑張りなさいよ。』
私はそのままスマホをベッドに投げ捨てた。
美尋は私の幼なじみで家族ぐるみの付き合いをしている。彼氏がいることは知っていたが、結婚はこの母親のメッセージで知った。きっともう少ししたら本人から報告の連絡があるだろう。素直におめでとうと祝福したい。
でも、別にあんたも頑張りなさいとか言われる筋合いはない。まだ若いし、今は彼氏自体欲しいとは思わない。どんなに好きな人でさえ、いや、好きな人だからこそ、色々と気を遣う場面が日常に増えていくと思うと吐き気がする。
私はイライラしながら時計を見て、クローゼットから適当な服を引っ張り出して出勤の準備を始めた。
会社に着くなり、同期の加奈子が私を見つけて駆け寄ってきた。
「真湖おはよー!ねぇねぇ、今日夜暇?」
「どうしたのよ、朝から急に。」
「合コンの約束が取れたの!でもあと一人こっち側が足りないのよ。真湖、あなた彼氏いないじゃん。一緒に来てよ。」
「別に今は彼氏欲しいと思わないし。」
加奈子は私が断ることは予想通りだったようで、落ち着いた口調で返した。
「真湖、あなた仕事人間になり過ぎてる。別に彼氏を作る必要はないわ。でもね、少しは非日常を経験して、心をリフレッシュさせなきゃ駄目よ!」
…人見知りの私が、知らない人との飲み会でリフレッシュできるわけないじゃん。
私は口にはしなかった。
「ということでよろしく!18時に迎えに来るから!」
「あ、ちょっと!加奈子!」
加奈子は一方的にそう言うと、自分の部署に向かって走り去って行った。
その日はもう仕事にならなかった。
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