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 重たい沈黙が下りた。ぼくも自分がとるべき行動を考える。この白いスライムたちの中から、誰よりも先に当たりを引かなければならない。しかし、スライムは全て同じ見た目をしている。少なくともぼくの目にはそう映る。とろけた餅のようなスライムは、まるでコピーしたかのように全て同じ外見だ。 「……崩してみようか」  誰かが言って、数人の男たちがそろそろとスライムピラミッドに近づいた。皆が息を呑んで見守る前で、一人がそっと人差し指の先でスライムをつつく。つつかれたスライムはぷよぷよと擬音が漏れそうな弾力で、押された部分を軽くへこませた。  一つ、また一つとスライムが脇にどけられ、ピラミッドは皿の上に崩れた。案外重みがあるのか、あまり転がらなかった。ぼくらはおずおずとそれを手に取りひっくり返す。裏に模様でもあればと全員が思っていたらしい。だが、転がったスライムに模様などなく、上下の分別もつかない。  皆がざわめき始めると、一人の若い男が鷲掴みにしたスライムを掲げた。 「これを食わねえと始まらねえんだろ。なら仕方ねえ」  そして注目の中で、スライムにかぶりついた。ぷつんと噛み切られ、スライムは一口分だけ身体の一部を失った。  静まり返った部屋に、もちゃもちゃと咀嚼音が響く。まるで、普通の餅を食っているみたいだ。 「なんだこれ、ただの餅じゃねえか」  スライムを噛み砕きながら、若い男は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。ぼくらのなかにも、少々の安堵が広がった。スライムだなんだといっても、正体はただの白い餅。ただ当たりをひけばいいのだと、誰もが思ったに違いない。  スライムの破片をごくんと飲み込んだ男が、溶けた。その足が骨を失くしたようにぐにゃりと曲がり、身体がぺしゃりと床に沈む。男だったものはぐにゃぐにゃと小さくなり、白く変色し、たちまち他のスライムと同じ形状のものになった。  悲鳴が上がった。周囲にいた人が男が変化したスライムに声を掛け、手で叩くが、それはぷるぷると震えるだけで、もう自分で動くことはなかった。  なんてこった。ぼくらの中に絶望が広がる。当たりを引くだけではない、はずれを食べてしまえば、このスライムになってしまうのだ。 「こんなの聞いてないわよ!」主婦っぽい中年女性が、エプロンで顔を覆う。 「くそっ、どうすりゃいいんだ!」野球帽を被り日に焼けた男が、怒号を上げる。  男だったスライムは、床の上に転がっている。  誰も、皿の上のスライムを食べようとはしなかった。  あと四十九個のスライムから、当たりを引いて食べなければ、出られない。はずれを引けば死ぬ。このままじっとしていてもやがて飢えて死んでしまうわけだが、自ら一か八かの命がけの冒険に出る人もいなかった。  二時間程たっただろうか。ぼくらは疲弊し、その場にうずくまったり寝転がったりしていた。 「何してるんだ!」  エプロンをかけた女性が、隣にいた初老の男の口に、スライムを押し付けていた。近くの男が彼女の腕を抑え、初老の男性は目を白黒させている。 「はずれか当たりか調べてるのよ! 当たりだったら私が残りを食べるわ、これで二人も助かるでしょ!」 「はずれだったらどうするんだよ!」  目を血走らせた女性の力が余程強かったらしい。抵抗した男性は口を閉じた時、スライムを噛みちぎり、不運にもそれを飲み込んでしまった。  体内で一体何が起こっているのか。ぼくらに想像する余地さえ与えず、はずれを食べさせられたその人は、あっという間にスライムに変わってしまった。 「この女、なんてことしやがる!」 「うるさいわね、これではずれが一つ分かったんだからいいじゃない!」  そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。  アナウンスの声は、助かるのは当たりを食べた人だと言った。一人一つだけでなく、スライムは一つを二人以上で食べることも可能だ。誰かを使って当たりを見つければ、その残りを食べればいい。いち早く皿に飛びつきスライムを掴んだ人たちが、出遅れた人たちを捕まえて無理やり食べさせ始めた。  スライムが増えていく中、ぼくは背後から思い切り頭を殴られた。目を回して床に転がりつつ振り向く。最初に会話をしたサラリーマンがぼくの腹に馬乗りになり、手にしたスライムを顔に押し付けてきた。  鼻も口も塞がれて、食べるどころか息ができない。ぼくは手足をばたばたさせて暴れる。相手の腕を引っ掻いて懸命にもがくけど、腹に乗られていればろくに抵抗なんてできなかった。 「食え、食え!」  絶叫が降ってくる。男はぼくの顎を掴んで力づくで口を開こうとしている。必死に歯を食いしばっていると、こぶしで思い切り頬を殴られた。  顔からぶよぶよが離れてなんとか目を開けると、スライムを片手に握った男が血走った眼でぼくを睨みつけていた。もう一発顔を殴られて、たちまち鼻血が込み上げてくる。呼吸のために口を開けたところを狙って、男がスライムを持った腕を振り下ろした。  両手でその腕を掴んで押しとどめるが、顔の痛みと腹に乗られている息苦しさで力が入らない。相手の空いた片手がもう一度ぼくの頬を殴り、抵抗する手首を掴む。徐々に腕が下りてくる。顔を背けて口を閉じようとするが、口を開けなければ呼吸ができない。 「食え!」大声と同時に相手の腕に渾身の力がこもった。ぼくの頬に叩きつけられるスライム。それを引っ掴み、千切って、ぼくは思い切り投げた。「ぶっ」と男が変な声を出してのけ反る。顔に命中したらしい。眼鏡が吹き飛ぶ。  腹筋に全力を込めて起き上がり、相手の胸ぐらを掴んで引き寄せた。その鼻柱に額を叩きつける。共に倒れ込んだ相手に今度はぼくが馬乗りになり、痛みに歪んだその口の中へ、そこらのスライムを詰め込んだ。  何が起きたかわからない顔が、どろりととろける。ぼくの下で男の身体はあっという間に溶け、残ったのは一つのスライムだけだった。転がった眼鏡は、ぼくの膝の下敷きになり割れている。  気づくと、部屋はスライムだらけだった。残る人数は十人程で、全員が身体に無数の痣を作り、血を流して殴り合っている。  罪深きもの。アナウンスされた言葉を思い出す。自分が助かるために他人を犠牲にし、殺し合うぼくらは、既に罪深きものではないか。最も罪深きものだなんて、ぼくらの汚さに優劣などつけられないではないか。  呆然としながら、ぼくは腕で鼻血を拭った。助けてくれ。誰かの悲鳴が消えていった。  最も罪深きもの。それはいったい何のことだ。  ヒントを回想し自問しつつ、ぼくは殺した男だったものを両手ですくいあげる。白いスライムが、ぼくの手の上で微かに震えている。ぼくが殺した、ぼくのための犠牲者。ぼくが助かるために、ぼくに殺された人。人のかたちをしていないだけで、これはかつてのその人に違いない。  ぼくはそれを、ゆっくりと口に入れた。  一口だけ噛みちぎる。奥歯に潰される死体は、何の味もしない。  しっかりと飲み込んだ時、ぼくの意識は薄れていった。
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