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惚れ薬というと、人に飲ませて使うイメージが強いだろう。多分ラノベとか、アニメの影響で。
しかし実際、そんな人の心を即座に動かすことのような薬があるものだろうか?優汰の言葉は正しい。ちょっと飲ませるだけで人を惚れさせるような薬が本当に作れるようなら、この世界はまったく違ったものになってしまっていたところだろう。
大体、そんなもの作れたところでどうやって人に飲ませるんだという話。
それが学校という環境なら尚更である。持ってきている水筒やペットボトルに仕込む?どうやって?万が一そんな光景が見つかったら、一気に不審者間違いなしだ。大体、他の人が飲んでしまったらそれこそ大惨事ではないか。男子なら尚更、ペットボトルの回し飲みくらいしそうだから余計に。
『だから、人に飲ませる惚れ薬は現実的じゃない。サイトに書いてあったのも、飲ませるんじゃなくて……塗ることで効果を発揮する薬の作り方だったの』
やり方は単純明快。
ペットボトルのキャップを用意して、そこに水ををちょこっとだけ入れる。そして人のいないトイレに行き、鏡の前でこう唱えるのだ。
『“私の名前は●●です。好きな人の名前は☓☓です。学校の神様、学校の神様。私達を運命で結びつけて下さい”』
それを、三回。
誰にも見られずにその呪文を唱えることに成功したら、その水を好きな人の持ち物にちょこっとだけ塗る。それで完成。持ち物というのは、本人が使っているバッグや机でもいいし、指先をほんの少し濡らしてつけるだけでいいのだそうだ。
ここまでやれば、惚れ薬がもう効果を発揮してくれる。
好きな人と結ばれる、その下準備が完了する――のだというが。
「……刃くん、本当に単純だねえ」
私は苦笑して、男子トイレの中を覗き込んだ。ちなみに、うちの学校はものすごーく古い。旧校舎の場合は男子トイレも女子トイレも、手洗い場と廊下の間にドアがない。そのため女子には大不評で、特に旧校舎の四階のトイレなんてものはほとんど誰も使うことがないのだった。
刃もそれがわかっていたのだろう。わざわざ教室から最も離れたこのトイレまできて、ペットボトルのキャップに水を入れているのだから。
その横顔は真剣そのもの。私と紗梛が見ていることにも気づいていないらしい。
「本当に好きな人いるんだ。全然気付かなかったや」
「あたしも、マリちゃん達に言われなきゃ気づかなかったよ。……誰の名前言うんだろ。あー、怖くなってきた……」
ついに、刃がキャップに水を入れた状態で鏡と見つめ合う。屈強で大柄な、お洒落なんて興味もなさそうな少年が真顔で鏡を睨んでいる。なんともシュールな図だ。
いよいよだと、私と紗梛は沈黙し、耳を欹てた。そして。
「お……“俺の名前は渋井刃です。好きな人の名前は……”」
彼の顔が。
一瞬、くしゃりと歪んだ気がした。なぜならば。
「“好きな人の名前は、港町優汰です。学校の神様、学校の神様。俺達を運命で……”ああ、駄目だ。やっぱり駄目だよな、こんなの……!」
私達は、何も知らなかった。本当に何も知らなかったのだと思い知らされる。
刃の泣きそうな顔が、嘘でもなんでも無いことを示していた。
「駄目だ。ほんと、マジで何やってんだろ、俺。こんなことして、好きになってもらっても、意味なんかないじゃん……」
彼は、おまじないを途中で放棄した。それは私と紗梛が見ていて、既に失敗が決まっていたからというわけではないだろう。
気づいていたなら振り返ったはすだ。私と紗梛が、逃げるように立ち去るその前に。
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