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そろそろ大阪や神戸からも、祇園祭の見物客が地下鉄に乗ってやって来る時刻になる。
「そろそろ、京都駅へ行かないとまずい」と、彼は呟いた。新幹線で次の仕事のために東京へ赴かないといけないからだ。
今宵はあと祭りの宵山、街のあちこちに建てられた山や鉾から祇園ばやしが鳴り響く……。
午後六時、日が西に傾いたというのに七月の古都は蒸し暑い。夕方でも気温は三十四度を超えており、盆地のせいで熱気が街の外へ流れずにとどまり、焼けたコンクリートとアスファルトのおかげで、いつまでも烏丸通のオフィス街に熱風が吹きすさむ。
ホテルの六階の窓際で、死神のようにやせ細った男が佇んでいた。
まだ四十代だが、白髪なので遠目だと老人のように見える。
木村(きむら)省吾(しょうご)は宿泊している部屋で、窓の外を双眼鏡で眺めていた。
その眼下では、昆虫のようにちっぽけな人の流れが続き、静かな環境を好む木村をうんざりさせていた。予定していた相手が遅刻したので、思いがけずホテルをチェックアウトするのが遅れて、帰りは雑踏を歩かねばならない。
腕時計を見てみる。オメガの時針が午後六時をさしたところだ。
彼は舌打ちをした。かれこれ一時間も、予定の時間を過ぎている。
(中国人という奴は、どうして時間を守らない)と、彼は少々焦れていた。これでは予約していた飛行機をキャンセルしなくてはならなくなる。
それから三分くらいが過ぎたろうか、苦虫を嚙み潰したような顔をした木村から、「あっ!」と、声が漏れた。
ある男が団扇を片手にホテルの前を通っていく。
ポロシャツに半ズボンのラフな姿をした太った中年男だ。
木村は急いでズボンのポケットから薬ケースを出すと、カプセルを一つ抓み、テーブルに用意していたコップの水で喉の奥へ流し込んだ。
そして目をつぶる。
十秒ほどだろうか、目を開けた木村は、大きく溜息をついた。
(これで完了)
「やれやれ」とボヤキながら、彼はトランクに双眼鏡をしまった。
*
エレベーターで六階から一階のロビーに到着して、はじめて祇園ばやしが聞こえてきた。耳にするのは三十年ぶりだが、べつに故郷に感傷を抱かなかった。料金の支払いを済ませると、そそくさとホテルを出て、様々な柄の浴衣に着替えた人々の流れに逆らうように烏丸御池にある地下鉄の出入り口へ歩いた。
その時だ。後ろから肩を叩かれた。
「やあ、もしや木村君? 木村君じゃないのかい? なつかしいな!」
いきなり声をかけられて、めずらしく木村は戸惑った表情を見せた。振り向けば、いかにも温和そうな人なつっこい笑顔が飛びこんできた。
よれた背広の中年男だ。ズボンも年季が入っていて、膝のところの染料が薄くなっていた。
ただ体格がいい、木村より背の高く、たぶん百八十センチはあるだろう。
「俺だよ、俺、思い出さないかい?」
木村は思った。
(たしかに見覚えがある)
首をかしげて、困っていたら、じれったくなったのか、あっちから名乗ってきた。
「中村だよ、ほら、中学時代、うしろの席だった中村(なかむら)義(よし)孝(たか)だ! 思い出さないのも無理ないか、こんな頭になったもんなァ」
そう言いながら、特徴のあるタワシみたいな癖毛を片手でなぜた。
「ああ、中村君!」
たしかにそれは中学生時代の同級生だ。
当時、中村は野球部なので頭髪を剃っていたから、わからなかったのだ。
「こんなところで出会うなんて奇遇だね」
屈託のない笑顔を見せる中村に、木村は殺意を抱いた。なによりも《仕事》のすぐ後で顔を見られたのが気に入らなかった。南米の組織からは、「用意するこった、あんたを日本人の刑事が嗅ぎまわっているようだぜ」と、忠告を受けている。疑わしきは罰するのが、裏世界では常識だ。幼馴染だろうがルールに例外はない。木村は中村の素性を疑った。
(三十年ぶりの再会ねぇ……。偶然にしては出来過ぎてる)
だからーー
「あいにく仕事で、これから東京へ行かなくちゃならないのさ、時間がなくて残念だなぁ、でもせっかくだから喫茶店で話さないかい? 立ち話もなんだし」と、誘ってみた。
すると、うまい具合に中村は疑わないようすでついてくる。
木村は心の中で舌なめずりをした。
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