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恐ろしいくらいに長く感じた時間が終わり、お店を出る頃にはいつの間にか福富さんと若松さんはいなくなっていて・・・。
「いいの・・・?」
お店の扉から最後に佐伯さんと出ようとした時に、小さな声でまたその言葉を呟く。
「何がですか?」
「若松さん・・・。」
「はい、良かったです。
私の中学生の頃とソックリの見た目で、更に健康体で恐らく綺麗な身体をしている福富さんが現れて。」
「それは・・・良かったの?」
「はい、だって若松は私のことが大好きだから。」
佐伯さんが困った顔でそう吐き出して・・・
「私の心臓はいつまで動くか分からないし、それに私・・・私・・・」
綺麗な顔を苦しそうに歪めた佐伯さんが言葉を詰まらせながら更に吐き出した。
「私・・・首の後ろから腰まで・・・全部赤黒い痣で覆われているんです・・・。」
いつも濃い色で、首が絞まっているデザインのトップスを着ている佐伯さん。
「二十歳まで生きられるか分からないと言われた私は二十歳までは必死に生きました。
やりたいことは二十歳までに出来る限りした。
新之助と・・・若松と恋愛もセックスもしまくりました。」
何も言えない私に、扉から先に佐伯さんが出た。
「私、次の人生ではちゃんと若松の妹として生まれてくるんです。
そしたら、次の人生では私と結婚出来なかったことに若松が苦しむこともないはずだから。」
何も言えず、この両足も動かなくなってしまった私のことを佐伯さんが振り向いた。
佐伯さんの後ろに見える若い男の子達は全員が“背景”となっていて、佐伯さんの姿だけがやけに輝いて見える。
佐伯さんはそれくらいの女の子だった。
女優、和泉かおりの隠し子であるだけではなく、心臓のことも痣のこともその背中に背負いながら25歳の年まで生きてきた女の子。
財閥の分家の生まれである私とは違うモノではあるけれど、私とは違う強い覚悟の中で生きてきた佐伯さんはこんなにも“綺麗”で・・・。
オフィスビルが立ち並ぶ光景も、少しだけ見える夜空も、キラキラと輝いているはずの若い男の子達も“背景”としてしまい、居酒屋の扉から漏れる光りだけでこんなに輝ける女の子。
そんな“普通”ではない女の子に私は言った。
ずっと気になっていた佐伯さんの言葉を思い浮かべながら。
「会社の忘年会の時に私の父に言っていた佐伯さんの言葉がずっと気になってたの。」
“私、お父さんがいないから。”
“本当のお父さんが誰なのかも私は知らないから。”
佐伯さんの教育係になるにあたり増田社長から聞いていた佐伯さんの事前情報のうちの1つ、そのことを私は吐き出した。
“あの時”、演技をしていたのかどうかは分からないけれど、何となくずっと引っ掛かっていたことを。
“自分の子どもがそんなことを言っていたら悲しい”
今は強く強くそう思うので、吐き出した。
「佐伯さんのお父さんは、お母様のマネージャーをやられている方だよね?」
吐き出した私に佐伯さんが嬉しそうな顔で笑う。
「そうですね、私のパパだと言ってずっと一緒にいてくれています。」
これが演技なのかどうなのか私には分からないけれど、もしもこれが本当の言葉なのだとしたら、佐伯さんの背負っているモノの1つを私が取り出してあげたいと思い、何度でも吐き出す。
“女の子”ではなく大人の女性としての立場になった佐伯さんの“教育”を任されている者として、吐き出していく。
「私が増田社長から聞いた話では、その“パパ”が佐伯さんの本当のお父様だよ?」
私の言葉に表情を一切変えることのない佐伯さんに何度でも吐き出す。
「事情までは知らないけど、書類上で認知していなかったとしても、生物学的にもちゃんと佐伯さんのお父様だよ?」
私がその言葉を吐き出した時・・・
「羽鳥さん!!佐伯さん!!
二次会も行きますよね!?」
“背景”の男の子達が私達に向かって声を掛けてきた。
何も口を動かさない佐伯さんの代わりに私が返事をしようとした瞬間・・・
佐伯さんの綺麗な目から涙がスッ────...と流れた。
そして・・・
「その子にお父さんを作ってあげて欲しいと私は思います。
子どもにとってはきっと、自分のことを愛してくれるお父さんとお母さんという2人の存在がいることが1番幸せなことだと思うから。」
泣きながら私にその言葉を伝えた佐伯さんが、涙を両手で軽く拭った後に若い男の子達の方を向いた。
「羽鳥さんはここで帰ります!
“王子様”が迎えに来ちゃったみたいなので!!」
佐伯さんの言葉に“背景”が大きく動いたように見えた。
大きく動いているような“背景”の中から1人の男の子が私の方に歩いてきて・・・
まだ居酒屋の扉から足を踏み出せていなかった私の前まで真っ直ぐと歩いてきて・・・
「“王子様”でも何でもなく、まだ“普通の安部”ですけど迎えに来ました。」
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